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親の晩年

高齢者のiPad・iPhoneの導入 

 知的障害者の息子がipadを使うのをみて、母が「この子にできて私が出来ないのは悔しい」とiPad miniを購入した。以来、私は使用方法、メンテナンスをして来ました。もちろんアップルサポートに加入して、レクチャーを受けるように指導したが、電話の過程で挫けて、スタッフに辿り着けなかったようです。

 その後、母はiPhoneに興味を持ったが、プライドの高い父が、「そんなもんは必要ない!」と頑として導入に反対した。母は根気よく、購入にタイミングを見計らい数年かけて、父と同時にiPhoneを購入に成功した。

 しかし父は、最低限の機能を使えたら、それでいいらしく、はっきり言ってiPhoneの持ち腐れ、豚にiPhone、猫にiPhoneです。一方母は、何度も電話をかけてきて、私に使い方を聴いてくる。何度かアップルサポートにも聞いてみたし、携帯ショップにも足を運んで、地道に使い方を勉強していました。ここで両親の明暗が別れました。

昔の劣等生の母

 実家にいくと、母は「「テレビで紹介されていた使い方を教えて」「こんなことできるアプリないかな」「花の名前を調べたい!」と大変熱心に質問をしてきます。わからないことはGoogleで調べるようにしているそうです。

 レクチャーが始まると、熱心にメモをします。たいてい2、3時間は、教えることになるので、私はものすごく疲れます。毎回同じようにメモをっていますが、どこに書いたか忘れるので、あまり意味はありません。 おそらく書いて覚えようとしている意図があるようです。

 母はiPad・iPhoneを使いこなし、ドラマをみたり、ニュースをみたり、欲しいを本を購入したりと母なりに楽しんでいるようです。私は時々様子を見ながら新しい課題を与えます。ネット通販で買い物をしたり、zoomを試してみたり、ポッドキャストを教え、実際に使えるように一緒に操作してみました。

 5歳の孫が英語の歌を歌うので、「あの子に出来て、私に英語は出来ないのは悔しい」と、ポッドキャストで英語を聞いたり、YouTubeで英語の勉強を始めました。母は「学生時代に勉強して来なかったので、80近いけど余力はある」と言います。そうはいうけど、現役で看護師をしていたころは、ずいぶん勉強をしていたし、カウンセラーの勉強に7年間通っていたことを私は知っています。

 そんな感じで、興味を引くようなネット記事や動画を送ったり、読みそうな本を古本屋で見繕い、手土産に持参するなど、できるだけ新ものに触れるようにと、心配りをしています。基本的に学ぶことに対して柔軟性があるのでしょうね。かなり優秀な生徒です。

昔の優等生の父

 一方父は、昔優等生だったそうです。私(子ども)に教えてもらうことを嫌います。昔は本をよく読んでいましたが、ここ数年は活字を読むのが億劫になったようで、本を手にしません。買い物も「もうなんでもいい!!」とキレるので、調べもせずに近所で購入します。

 残念ですが、老化で頭が硬くなっています。もともと融通が効かない性格だったし、元公務員なので、高圧的で人をバカにすることは大得意でした。私は子どもの頃から父に褒められたこともありません。子どもに興味もないので、「勉強しろ」と言われたこともないし、学校行事にも来たことはありません。そんな人でした。

 私は父を賢いと思って育ちました。それは母に「お父さんは賢い人だ」と言われて育ってきたからでした。しかし最近、父という人物を客観的に観察すると、そうでもないことが見えてきました。彼は、昔の知識を記憶していることが自慢であり、要するに学生時代に得た知識で止まっているのでした。過去のストックの知識の披露すると、若い人たちからは、自慢話を話しているようにしか聞こえないようです。気の毒に新しい知識は、自らが拒絶しているので、歳を重ねるごとに先細りしています。

そんな人だと受け入れる時

 父は新しいことを学ぶことを放棄していますので、もう私は教えることはしません。人生の晩年は自分の好きなことをして暮らせばいいと思います。父とはこういう人なのだと理解した瞬間に、私は彼を追い越したのかもしれません。

 昔はよく怒られたし、どちらかというと殴られてきた昭和世代なので、父のことはあまり好きではありませんでした。しかし晩年の父を客観的に分析し「こういう人」なのだと理解すると「仕方ないな。」と諦めて受け入れることができそうです。なるべく距離を置き、老年看護学で学んだ、高齢者の特性と比較し、客観的であるように努力しようと思います。

そんなこんなと色々な思いを交錯させながら、両親の晩年に付き合っております。



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