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【インタビュー】体験が自分のバリアになってくれる!―YSF生みの親、新井佑さんにお話を伺った

今回は、「地域プロジェクトによる『市民育ち』の可能性」という研究テーマのもと、我々も参加しているYSF(用賀サマーフェスティバル/Youga Summer Festival)の創設者であり、NPO法人neomuraの代表理事を務めている新井佑(たすく)さんにお話をお伺いしました!ちなみに、8月27日と28日の2日間(15:00-20:30)、用賀駅すぐ近くのくすのき公園で、4年ぶりに開催されます!

https://www.neomura.or.jp/memberより

自分の中で大事にしていること

特に大切にしている価値観について、いくつか並べた項目の中から、佑さんはまず「ポジティブさ」、「行動力/自由度」、「対等性や多様性、他の尊重」を選びました。学生などの若者が主体となって自由に創り上げるお祭り、というYSFの精神を体現した選択のように思えました。

しかし、そのあとの佑さんの言葉は少し意外でした。「これらを選んだのは、人に見られている部分があるからだと思ってます。自分は実はけっこう批判的な人間で、哲学的な考え方、本質的に考えるのが好きなんです」と、「多様な視点/批判的視点」の項目の大切さを強調しました。YSFが目指すお祭りというのは、みんながやってきたような主流的な考え方に合わせるのではなく、むしろ違うように捉えるという視点、この場合は、地域の大人たちが主導するのではなく、学生の手で地域のお祭りを作ったらどうなるのかという視点から始まったものでした。

逆に、自分では弱いなって思う部分は「ディスカッションや熟議の力」だと言います。人と意見が違っている場合は、とことん自己主張するよりも、「まあいいんじゃないかな」って考えがちになってしまうそうです。「僕は説得するよりも周りを巻き込むことで形作りをしていきたいなって思っていて、そのやり方がコミュニティによっては引っ張っている形に見えるかもしれないのですが、主観的には『みんなで』って感じで活動しています」。言葉で主張したり説得したりするよりも、動いていく中で周りを巻き込んでいく、それがむしろYSFを15年間も続けてきた新井さんの秘訣なのかもしれません。

学生時代の活動を今も続けられている理由

佑さんがYSFの活動を始めたきっかけなどは、駒澤大学経済学部の松本典子先生の研究室が作成したnoteの文章をぜひ読んでいただきたい。

「何かに乗っかるのは途轍もなく苦手。我慢しちゃうのでモチベーションが低い。自分で創りたいタイプ」と、何かをゼロから一に作り上げることに大きな喜びを感じ、そこにこだわりがあった佑さん。学生時代(大学2年生の時)に始めたYSFの活動を、なぜ就職後も、社会人になってからもずっと続けているのかについて質問してみました。佑さんも当時迷いがあったと言います。「僕が代表を務めてたのは最初の2回だけで、3回目は監督として」、そこからはサラリーマン時代に入り、YSFを後輩たちに任せていたと言います。「(YSFの)失敗や小さな成功体験が自分の中にあって、それが自分のことを守ってくれていました。苦しい時でもそれがバリアのように守ってくれていて、一種の逃げにもなっていました。でもこれでいいのかなって思う自分もいて、社会人としての新井も受け入れるべきだと思いました」。

会社員としてもできる「ゼロからイチへと創り上げること」を探し求めていたが、YSFの8回か9回目のときくらいに、YSFを立て直す必要が出てきて、そこから会社をやりながら代表を務めたと言います。「会社員だとマジで大変で、12時に仕事が終わって、4時までYSFのことをして、8時に出社していた」。「リクルート時代に1日100件の飛び込み営業や、たまたま隣の席に座っていた飲み屋の知らないサラリーマンから仕事を受注したみたいな経験が自分のバリアになっていて、人生なんとでもなるという自信につながっていたと思います」。

サラリーマンとYSFのどちらがやりたいかと自問した時に、会社を辞めて独立することを選んだ佑さん。「8年間サラリーマンをやって、これからどうするか悩んだときに、用賀で何かを作り上げたいという思いがありました。これは自分の居場所や関わる仲間、そして何よりいつも叱咤激励(叱咤叱咤?)してくださる商店街の皆さんや、地域の方々がそうさせてくれたんだと思ってます」。赤字が続いていたのを黒字にして、地域との関係性の立て直しも行いました。「現在も学生主体は変わらないけど、深く関わってやっています」。

学生だけの祭りから学生とともにみんなでつくる地域の祭りへ

YSFは基本的に学生が主体の夏祭りです。「大人のいないプロジェクト、始めた当初はそれでいいと思っていた。自分にそういう原体験があったから。自分たちのやりたいことを素朴に追求していくと。その結果生まれた成功体験や失敗がある。それがあるから自分の今がある」と佑さん。でも、OBOGだけでなく、地域の方々が参加・参画したりすると、今までとは違う良さが出てきて、最近は地域におけるYSFの関わりしろを意識的に作っていきたいと言います。

「(まだまだですが)YSFも一定の認知度が出てきて、使命感が出てきている。続けなければならないというのが使命感。創造には責任が伴う、ゼロからイチへとは言ってもやりっぱなしはだめです。『イチ』を育てていく責任があります」。活動自体に対する責任感もあるが、今はそれが拡張されて、用賀における地域のつながりをどう育むか、というところまで興味が出てきていると佑さんが言います。

そして、活動を通して気づかされた大事なことがあると言います。他者、仲間がいないと何もできないということです。「祭りの当日に、清掃スタッフの方々が清掃しているのを見て、涙を流してしまった。自分がこの祭りを創り上げたのではなく、みんなが創り上げたものなんだ、みんながそれぞれの役割を持って、力を出して創り上げたんだと気づかされました」。

「社会関係資本とかソーシャルなんとかが大事だからやってるわけじゃなくて、そこにいる人が好きだから、それを受け入れてくれる街が好きだから。そこは変わらないと思います」と佑さん。知り合いの娘さんが、YSFでダンスのステージを見てダンスを始めたらしく、今ではダンスが生きがいになっていると言います。「そういう話を聞くと活動冥利に尽きると思うし、そういう子どもたちや、まちの方々にちょっとでも貢献できるように、活動し続けたいと思っています」。

お話を聞いて心に残ったこと

YSFとのかかわりは、佑さんにとって、まさに「私とは何か」という問題にほかなりません。「自分のユニークなポジションとは何かという時に、やはり用賀という地域、コミュニティ、市民主体のまちづくりとか、そういったキーワードが自分のポジション」だと言います。

そんな佑さんからのお話で最も心に残ったことは、「失敗や小さな成功体験が自分のバリアになってくれる」ということです!

「そういう体験があると続けられるし、その分、自分というものに一生向き合っていくことになります。自分とは何かというのは、ずっと模索し続ける問題。就活というタイミングでも、いったん今の自分をどう思うかということを考えるが、自分らしさはやり続けることで解像度が上がる。やればやるほど沼みたいに抜けられない。やりまくった結果、抜けられないくらいが一番いいポイントなんじゃないかと思う。本当に抜けられなくなるのは自由度が下がってダメだけど、そのポイントを探すことが大事だと思ってます」。

僕自身、いまYSFに関わって佑さんとお話しする機会が多いのですが、その「何とでもなる精神はここからきていたのか!」とインタビューをしながら思いました。豊かな体験こそが自分自身でい続けるためのバリア。僕もいろんなことを経験して、自分に自信をもたらしてくれるプラスのバリアをたくさん張っていきたいと思います。

佑さん、ありがとうございました!
(K. A)

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