『高崎怪談会 東国百鬼譚』 戸神重明編著

地域が変わると、こうも怪談の雰囲気が変わるのか。
正直、自分は怪談はめっきりYouTube派だったので、あまりご当地怪談というものを読んだことがなかった。

今回、同書編著者の戸神重明先生とのご縁で、『新潟怪談』の一部を執筆させてもらったが、これを機会に、改めて地域別という視点で怪談というものをとらえ直そうと感じ、勉強のつもりで読んでみたのだ。戸神先生の書籍は少し前に『群馬怪談 怨ノ城』も拝読させてもらった。

自分は、基本的にジャーナリスト気質なので、いわゆる"読み物"としての文章を書くのが苦手だ。やはりその手のものは、通常の論稿やルポとは違う書き方になるので、これまで訓練してきた技術とはまた、別の技術が必要なんだなーということを、今回の出版で改めて学んだ。

さて、閑話休題。

本作は、群馬県を中心に怪談会などを主催している編著者と、これまで会に参加してきた人たちの手による共著本である。「死猫三景」のように、人間の業の恐ろしさを含めての、恐怖を感じる話もあったが、「蛙の置物」「三本の腕」など、妖怪のような、不思議な話も収録されている。かと思えば、「新田義貞の呪」のような呪い系の話もあり、様々な種類の怪異を楽しめる。

特に歴史をやってきたものとしては、「新田義貞の呪」が強く印象に残る。読みながら考えさせられた。「なんでこんな呪いかけてたのかなあ」と純粋に疑問に思った。中世世界は、現代人の我々が思っている以上に、呪術廻戦のような世界が繰り広げられていて、物理的な戦闘以外にも、祈禱師や呪術家を使った呪いによるトラップなんかも使われていたのだろうか。そういった痕跡は、わずかに発見される考古学的遺物以外では、文字資料や伝世品、そして伝えられてきた口碑でしか、読み取ることができないだけれども…。

そんなことを考えながら、読み進めていくのも楽しい。
いずれにせよ、霊症などに触れない程度に、こういった怪異の世界に遊ぶというのも、なかなか贅沢な時間というものだ。

現実的に起こりえない、非科学的なことだから、単に「ありえない」と、一蹴するのではなく、それらの現象を解釈しようとする創造力や妄想力を発揮できるのが、楽しい。そういう「心の豊かさ」は常に持っていたい。不可解な世界を逍遥する。そんな体験をしたい人に、是非お勧めの一冊だ。

群馬の怪談も、なかなかいいねぇ。

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