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ヨコハマメリーは日本版聖人クセーニャである

メリー伝説の受容をアカデミックに考える

ずいぶん長い間メリーさんの伝説は、民俗学あるいは文化人類学的な観点からの分析が出来ると思っていた。とは言え、とっかかりとなる事例が見つからず、ながらく宿題となっていた。

しかしなにとはなしに観た「ゲンロンカフェ」のアーカイヴ配信のなかに、恰好の事例が見つかった。

番組の顔は、盲目の上歩行困難で字も読めなかったにも関わらず予言や助言で熱心な支持を集めた聖女マトローナだった。しかし同番組で紹介されたクセーニャ(Xenia) に大いに興味をそそられた。メリーさんとの類似性を感じたからだ。

ロシアはキリスト教の国だが、東方教会に属しローマカトリックとは異なる決まりの下に信仰生活が営まれている。
その違いの一つに聖人になるための必要要件がある。
カトリックでは聖人になるため尊者→福者→聖人という階段を登らなければならない。聖人認定されるためには、「殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたか」「奇跡を起こしたか」といったことが教皇庁列聖省の調査によって裏付けられなければならない。

しかしロシアではその辺が実に曖昧で、庶民が「推し」を勝手に「聖人」として祭り上げ、それを教会が追認するという傾向がある。ペレストロイカ以降はこの流れに拍車が掛かったようだ。そうして奇跡とも殉教とも宗教的情熱とも無縁な聖人が誕生した。それがクセーニャである。


地を這う愚者が聖女となる日

ではクセーニャとはどんな人物なのか?

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俗に「サンクトペテルブルクのクセーニャ(Xenia of St.Petersburg)と呼ばれる通り、ロシア第二の都市サンクトペテルブルクの守護聖人だ。

彼女の半生は明らかになっていない。本名さえ不明だ。分かっているのは、夫に先立たれた未亡人で18世紀の人物だということだけである。
クセーニャは伴侶の死後、アンドレイ・フョードロヴィッチ・ペトロフ(Andrey Fyodorovich Petrov)という死別した夫の名を名乗り、彼の服を着て生活した。彼女の話によれば、夫は軍人で大佐だったという。しかし彼の容姿はもちろん人柄も不明で、夫婦仲が良かったのかどうかも定かではない。そもそも結婚生活そのものが事実だったのかも明らかではない。

街の人々は彼女を狂人だと考えた。事実彼女は男装の物乞いだった。頭がおかしい人物だと思われても不思議はない。

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佯狂者のひとり聖ワシリイ(CC BY-SA 3.0)

しかしロシアには佯狂者(ようきょうしゃ ユロージヴイ)と言われる存在がいる。インドの聖者「サドゥー(「苦行者」などと訳される)」のような存在で、世を捨てぼろを纏い、あるいは半裸で、ひたすら己の信仰をつらぬく人たちである。英語では"holy fool for Christ”と訳されている。たいそうな存在に思われるが、事実上は乞食と変わりがない。本人は神への道を忠実に生きているつもりかも知れないが、周囲の人間から見れば頑固で怒りっぽい路上生活者でしかない。

クセーニャもそんな愚者の一人に過ぎなかった。しかし死して彼女は祭り上げられた。なぜか。

ロシアは離婚大国である。おそらく男女平等が過度に進んだ共産主義の置き土産だと思われるが、とにかく寡婦が多い。特に寂しい老婆が目立つ。死に別れた夫を思い続けるクセーニャは彼女らの共感を呼んだのだ。

彼女は一部の人々から佯狂者だと見做された。つまり宗教的な存在だと考えられたのだ。独り身の老婆たちは教会で跪く。そして「私にはクセーニャの気持ちが分かる。彼女は私の力になってくれるはずだ」と考える。彼女は老いた未亡人たちにとって親近感を覚える聖人なのだ。

地を這うように生きた路上生活者の女性が、死後聖女として祭り上げられる。
思えばキリストも国家反逆罪で死刑になった罪人にすぎなかったが、死後「神の子」として祭り上げられたのだった。

クセーニャはなんら奇跡を起こしていない。聖女らしい振る舞いさえもしていない。目立つだけの路上生活者。鼻つまみ者である。死別したという夫も、本当は実在してさえいなかったかもしれない。しかし人気はある。

こういう人物を扱おうとするとき、ロシア文化の文脈では、佯狂者にカテゴライズするのがもっとも据わりが良かったのだろう。

一方メリーさんの場合も「純愛に生きた『待つ女』」という物語に落とし込むのが、日本ではもっとも落ち着きが良かったのだろう。

そこにあるのは事実の探求ではなく、受け手側の腑に落ちるかどうか、という大衆の都合である。違和感なく受け止められる物語か否か。消化しやすいように既存の文化文脈に乗れれば、マレビトは語り継がれ物語はどこまでも生き延びる。

映画「ヨコハマメリー」の熱心なファンは中高年の女性たちである。イベントをやれば一目瞭然。コアなファンは圧倒的に女性に傾いている。
生涯を投げ打った純愛に加え、娼婦という生業が彼女らの関心を繋ぎ止める。自分たちは決して彼女のようにはなれないが、どこかに憧れと共感の気持ちがある。

メリー人気とクセーニャ信仰。
似ていないだろうか?

将校と大佐。共に軍人だった愛する人。本人の証言以外物語に一切の裏付けがないこと。路上生活者だったこと。生前は蔑まれ、死後共感される存在になったこと。支持者の多くが女性であること。

もしメリーさんがロシア人であったならば、聖人になっていたのではないか。

かつて NHK ドラマの「おしん」がイランで放映された際、大人気となったことはよく知られている。地元の女性たちは「おしんはイスラム女性の鑑(かがみ)」と言って、その生き様を称えた。ホメイニ師が「異教徒をイスラム女性の鑑というとはけしからん!」と激怒したほどだった。

同じようにメリーさんの物語は、ロシアでも女性たちに受け入れられるだろう。それこそ「日本発祥の聖人」となる日が来るかもしれない。

クセーニャの英語版ウィキペディアページ



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