みんなにとっての2022年・夏を大事なものとして考えたい

※感染者数の増加によって、何度目となるのか、さまざまな学校で活動の中止・自粛が始まっているという現状を聞き、いま準備中の本の一部を部分的に改変して載せることにしました。以下です。

 それにしても、学校というのはどういう場所なのだろう。勉強をして知識を獲得するための場所だろうか。それならたしかにオンライン授業が主流でもいいのかもしれない。しかし、たとえば教育学者の中澤渉さんは、コロナ禍以前の時点で次のように述べている。

インターネットの発達などもあり、単に知識を得るだけならば、学校に通う必要性はほとんどない。しかし今の日本で、学校制度自体を廃止せよと思う人は、おそらくほとんどいないだろう。(『日本の公教育』)

 つまり、わたしたちは「単に知識を得る」以上のなにかを学校に見出している、ということになる。その中身はさまざまありうるが(中澤さんは「包摂(インクルージョン)の場」としての役割を指摘している)、本書の立場からしたら、それは身体的な交流ということになる。
 生徒・教員はじめさまざまな人が、それぞれの身体で生き、それぞれの身体で交流をする。そのような身体の水準での交流によって、お互いが影響を与え合う。
 学校という場所ではそれを「成長」とかいった言葉で呼ぶのだろうけど、別にいわゆる「成長」というものにこだわらなくたっていい。
 誰かと誰かが時間と場所をともにして、喜びや悲しみを共有すること。お互いに傷つけ合ったり助け合ったりしながら、ゆっくり歩みを進めること。それが社会の根本なのではないか。どんなにデジタル化が進んでも、その身体的な交流はどこかで残り続ける。
 もっとも、そのような身体的な交流が、いかにも学校的な体罰やいじめにもつながるのだろう。そして、それは致命的な体験として刻まれてしまうだろう。だから、オンライン化によって、そのような暴力から解放される人がいることもたしかだ。
 僕は鈍感で、土足で踏み込んでいくようなところがあるかもしれないけど(気をつけているつもりだけど)、身体的な交流は別に暑苦しく社交的になることばかりを意味しない。
 落ち込んでいる人に声をかけてみるとか、声をかけなくとも肩に手を置いてみるとか、相手の話にうなずいてみるとか、そんな微細な身体の動き。それどころか、意識にものぼらないような身体のやりとりによっても、人と人は交流している。
 学校に行くのが死ぬほどつらいなら学校なんて行かなくてもいいと思うが、微細な身体の交流が完全になくなったら、それはそれで死ぬほどつらいのではないかと思う。学校がそうした社会とのつながりを全面的にになう必要はないが、さしあたりその大きな一部として存在しているのはたしかだ。
 でも、あらゆる「ディスタンス」が求められるコロナ禍という時代においては、そんな身体的な交流こそが良くないこととされてしまっている。大人数で固まって歩くのもダメ。会話をしながら食事をするのもダメ。プロレスごっこもダメ。握手をするのすらダメ――。これまでだったらあまりにも日常的だった身体的な交流が大幅に制限されることになった。
 いきおい「単に知識を得る」以上のことを求められていたはずの学校に対して、オンライン授業の推進と歩調を合わせるようなかたちで、学校(大学)は「単に知識を得る」だけのものでかまわない、という論調がささやかれることになった。
 その学校(大学)像は、少なくとも僕が、好み、憎み、喜び、悲しんだ場所とはだいぶ違う。コロナ禍に加えて働き方改革の時代でもある。変えるべきものは適切なかたちに変えるべきだろうとは思うけど、そんなに簡単に手放すべきでないものも多くあるはずだ。

 コロナ禍、ある教員がこんなことを言っていたという。
「境界線を作っていくということですね……」
 一斉休校期間が明けて学校再開という時期、感染リスクを考えると、不特定多数の人がいろいろなモノに触るのは良くない。したがって、学校生活が再開したら「モノの貸し借りは極力避けるべき」「他人のモノに勝手に触らないように」ということを伝えよう、という議論になり、そのさいにつぶやいたらしい。
 この言葉が印象に残っているのは、僕自身がとくに、個人と個人、共同体と共同体が越境して交通するところに文化や歴史のダイナミズムを感じていたからだ。そして、そのような越境の精神が、大事な人間関係を育むと考えるフシがあったからだ。
 実際、僕は以前、ある媒体に以下のような文章を書いたことがある。

 わたしたちは、教科書に名前を書かなかった彼/彼女に学ぶべきことがあるかもしれません。自分のモノはみんなのモノでもある、という精神。忘れ物をして困っている人がいたらいつでも貸してあげるよ、という寛容さ。貸した人は催促せずとも返してくれるだろう、という信頼。楽観的な感じもしますが、こういうおおらかさは大事にしたい気もします。そもそも昔から、モノの交換というのは、人々の交流にとって必要不可欠なものとされていました。異なる部族や異なる文化は、贈与と返礼、モノの貸し借りによってコミュニケーションを取ってきました。「こっちの領土に入ってくるな」では、そのような交流が途絶えてしまいます。
 ガチガチに所有するのではなく、ゆるやかに共有することが大切です。昔から忘れ物ばかりしている僕は、したがって、こう言いましょう。諸君、おおいに貸し借りすべし!

 威勢よくこんなことを書いていたはずなのに、わたしたちモノの貸し借りを取り締まらなくてはいけなくなってしまった。
 それだけではない。食事場所には透明の仕切りを立てて、隣やまえの人とのあいだを隔てなければいけない。自慢の講堂の座席も、身体の接触が起きないように距離をとらなければいけない。分散するために行事ごとは一緒におこなわず、学年やクラスを区切らなければいけない。地域も国境も人も関係なく越境していくウイルスに対抗すべく、境界線をガチガチに確定せざるをえなくなった。
 この時期、あらゆる交流・交通・越境を断ち切るかたちで境界線を引き、学校生活が再編成されていった。安全のためということはじゅうじゅう承知しているが、この線引きの作業が寂しいことだった。越境を取り締まることは、学校という場所から活力をなくすことを意味するようだった。
 そんなことを思っていたら、世界では「分断」という言葉がキーワードになっていた。感染してしまった人/感染したくない人、テレワークできる人/外で働かざるをえない人、補償してもらえる人/もらえない人、自粛ムードに賛同する人/反発する人。
 誰も明確な答えが出せない状況のなかで、社会がどんどん二分されていくようだった。2020年の5月には、アメリカでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが白人警察官に不当に殺されるという事件が起き、BLM運動がいっそう激しいものとなった。
 そんな「分断」の時代とも言えるなか、「分断」ならぬ分散登校で久しぶりに学校に来た生徒にむけて、ある教員からは次のような話をされたという。
「コロナウイルスに負けないようにしよう!」
 ここまでは、東京オリンピック的なスローガンも連想させ、危うい精神論にもとれるのだけど、もちろんそんなことはない。その教員は次のように続けたという。
「〝コロナウイルスに負けない〟とは感染しないことではない。誰がいつ感染してもおかしくないでしょう。もし誰かが感染したとき、それを理由に仲間はずれにしたり差別したりすれば、みんなで育んできたコミュニティが分断されてしまう。そのような分断状況を作ってしまったら負けだ。その意味で、コロナウイルスに負けてはいけない」
 いまでこそそのような感覚は薄れたかもしれないが、当時はまだまだ新型コロナウイルスに感染した人を排除したり罰したりするような雰囲気があった。感染対策のために一時的に境界線をもうけたとしても、それがそのまま、感染者を排除するような境界線になってはいけない。
 しかるべき境界線は保ちつつも、教育現場も社会も、可能なかぎり身体的な交流を回復していくべきではないか。僕自身は、新型コロナウイルス流行の最初期からそのように思い主張していたクチだが、この点についてはさまざまな議論がありうるだろう。

 2022年3月に卒業する学年は、1年生の終わりに新型コロナウイルスの流行にあたったため、2年・3年時はほとんどの行事がこれまでと異なるかたちでおこなわれ、部活動もじゅうぶんにできたと言えない学年となる。 率直にかわいそうだと思うときはなくもない。
 とはいえ、そういう状況は全国にもあるだろうし、彼らより少し年下の年代はさらにいろいろな制限を余儀なくされているのかもしれない。あるいは、彼らより少し年上の年代はおもに大学で苦労しているとも聞く。外野が勝手にかわいそうだと思っているのをよそに、コロナ禍という条件のなかでこそなにかを得ているのかもしれない。
 現在、学校は修正すべき問題は改善しながら、少しずつコロナ禍以前の生活を目指していると言える。ただ、「どこまで戻すか」「どのように戻していくか」というのは、教員のなかでも生徒のなかでもいろんな意見があるので、このあたりは議論が重ねられることになる。
 とりわけ体育祭・文化祭・合唱コンクールといった行事に関しては、「祭」が身体的で越境的である以上、なかなかそれまでのようにはできなかった学校が多かった。そのなかで、生徒・教員含め多くの人が努力を重ね、2021年度にはまだまだ十全ではないとはいえ、いくつかの行事はそれまでのかたちを取り戻しつつあった。
 とくに2021年度のおわり、コロナ禍以降に困難を極めたクラス合唱がさしあたり中学1年生のみ復活し、彼らの歌声が練習不足ながらも講堂に響いたときは、やはり感慨深いものがあったという。
 生徒の合唱に感動するなんて、あまりにも凡庸なエピソードでわざわざ書くほどでもないのだけど、コロナ禍から日常に戻っていく兆しのようでやはり印象に残っている。とりわけ音楽科の教員が、涙ながらに「本当に感動しました」と講評をしていたのは印象に残っている。
 コロナ禍における制限の度合いで言ったら、音楽の授業は座学の授業の比ではないだろう。制限せざるをえなかった2年ぶんの重みを感じた。
 コロナ禍について、2~3年で回復するという言いかたがある。それは5年かもしれないし、それ以上の可能性もあるかもしれない。社会や政治の水準では、そのような数字のなかでさまざまなことを判断するべきだろう。
 しかし、そのなかで失われたのは、たとえば、去年なりおととしなりに講堂に響くはずだった歌声である。
 久しぶりの合唱に涙した音楽の先生は、合唱ができないまま卒業していった生徒たちに対して、しばしば「この人たちならけっこういい合唱ができたと思うんだけどなあ……」と、寂しそうにつぶやいていたという。
 あるいは、ある生徒は、行事について「このクラスだったら、どんなものを作り上げることができたのだろうということや、一年生の頃にできなかったことを、学年が上がって実践してみたかったことなどは悔やまれました」と振り返っていたという。
 忘れていけないのは、コロナ禍で失われたのは、そういう無数の《一回性》たちである、ということだ。
 東京都知事の小池百合子が、新型コロナウイルス感染拡大を防止するために花見の自粛を呼びかけたことがあったが、そのとき小池は「桜は来年もきっと咲きます。来年の桜も楽しみにとっておいていただきたい」と言っていた。でも、やはりそういうことではないはずなのだ。今年の桜と来年の桜は違うのだ。圧倒的に。
 生徒の合唱を見る機会は今後もあるかもしれないが、あのとき、彼らが披露するはずだった歌は、やはりどうしようもなく失われてしまった。「来年の合唱を楽しみにとっておいていただきたい」ではないのだ。

 みんなにとっての2022年・夏を大事なものとして考えて欲しいです。

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