まぶたの裏に大林宣彦監督を

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大林宣彦監督が亡くなってしまった。
つい先日、職場の友人に「好きな映画はなんですか?」と聞かれ、「大林宣彦監督が好きなので、『この空の花』ですかね」と話していたばかりだった。なんだかここ数年、自分のなかで存在の大きい人がうえから順に亡くなっていくようだ。映画への思い入れが人一倍強いということではないので、僕以上の悲しみにくれている人はたくさんいるでしょう。大林監督に対しても、熱烈なファンはたくさんいると思います。とは言え、大林監督の言葉と作品は、僕にとって大きなエネルギーになっていました。大林監督の作品のありかたは、僕にとってフィクションの理想だと思っていました。大林監督の作品に触れるといつも、フィクションという形式そのものがもつエネルギーを感じるようでした。

僕としては、その理由ははっきりしています。それは、大林監督が映画のなかの世界と現実の世界を区別していなかったからだ。晩年の『この空の花 長岡花火物語』も、随想と見聞録を交えた「シネマ・エッセイ」とうたったものでした。大林監督は、「そもそも映画に劇映画とドキュメンタリーしかないというのもおかしな話でね、文学なら日記もエッセイも論文だってある」と言っています(『野のなななのか』公式パンフレット)。遺作となってしまった『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は、青年たちが映画の世界に入り込む物語とのことだけど、大林監督自身、まさに映画と現実を同じ地平に見据えながら生きていたようなところがあった。このことは、大林監督がしばしば語る映画論からも見て取れます。

例えば、大林監督はラジオに出演したさい、パーソナリティである伊集院光に「90分の映画でスクリーンに絵が映っているのは何分くらいでしょう」と質問していました。大林監督いわく、答えは「絵が映っているのは50分。40分は暗闇」とのこと。なぜなら、コマが入れ替わるときには、レンズのシャッターが降りているから。したがって、わたしたちは90分の映画を観ながら40分ぶんを想像や感覚で補っているのだ。だから、同じ映画を観たとしても、人それぞれ印象や感想が異なるのだ、と。――なんと、知的かつ素敵な理論なんだろう! 大林監督においては、最後の最後、映画は観客によってこそ完成されるもので、だからこそ、映画の世界は文字通り観客の現実と同じ地平にある。映画が現実と切り離されたものならば、誰が見ても同じものでしかない(大林監督は映画と対置させるかたちで、ビデオの「情報」を「客観的」なものだとする)。みんながそれぞれの思いで映画を観ていることそのものが、映画が現実の一部である証左なのだ。大林監督は、このような発想をくり返しくり返し言っていました。

だから映画を本当にこしらえるのはみなさんの心なんです。そしてみなさんの心の思いのままに映画が自由でありたいなと思うために、この映画は逆に、とっても不自由に作られているんです。(大林宣彦『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』フィルム・アート社)
映画のひとコマはちょうどそれと同じで、そのまぶた代りになるのがシャッターで覆いかくされた、二十四分の一秒の闇なのです。つまりシャッターというものは人間のまぶたと同じでレンズの前をふさいじゃうわけですね。しかも本当はスクリーンに絵が映っている時間よりも、スクリーンが闇になっている時間のほうが長いんです。(中略)だから映画は本当は目の前に映し出されたものを見ているんじゃなくて、見たと信じ、目を閉じて、まぶたの裏に残っているものを見ているんですね。(同上)

大事なことは、大林監督が好んで使っていた言葉を借りれば「想像力」。目のまえに映し出されていることだけではなく、「まぶたの裏」にある暗闇も含めて、その想像も含めて、人はこの現実を生きている。というより、暗闇でこそ人間の素晴らしい「想像力」が生きられる。大林にとって、映画とはそのようなものであった。このことは大林監督の映画原体験にも関わる話です。

大林監督が尾道時代、おばあちゃんと映画館に行ったとき、おばあちゃんは暗くなった映画館で「こんな暗いなかで映画が観られるなんてすごい」と感心した。「明るかったらもっとよく観られるね」とも。映画に慣れていない祖母の微笑ましいエピソードなのだけど、大林監督はこの個人的な体験をさらに文化史的に展開する(なんと面白い映画文化論なんだろう!)。大林監督からすれば、暗いなかで観ることこそ映画の本質なのだ。どういうことか。大林監督いわく、映画が発明された19世紀末というのは夜がまだまだ暗かった。人間はその暗闇のなかでも起きていて、なにかを考え、なにかを見たいと思っている。それは恋する相手だったり、すでに死んでしまった者だったり。そういう「真っ暗闇で見られるもの」として、映画は発明されたのだ。恋愛詩や恋愛小説もさかんだった19世紀末とは、目を閉じて、まぶたの裏側で夢見る「ロマンティスト」の時代で、映画もそのひとつなのだ!

この素晴らしい映画文化論よ。個人の体験と時代精神と創作態度がするすると結び付けられる。空想的なロマン派こそ、現実に対する変革の意志が強い。夢と現実を「想像力」でつなぐからだ。大林監督にとって、映画とは真っ暗な夜に見る夢のようなものだ。しかし、夢とは現実と区別されるものではない。夢とは、一見すると現実には存在していないようだが、「想像」のなかで実体化させるものだ。高畑勲との対談でも、「世界を線で描くというのは一種の絵空事でしょう。実体は想像力によってでしか現出してこない」と言っている(『野のなななのか』公式パンフレット)。高畑と同様、僕も『野のなななのか』を観たとき、これは境界線をめぐる物語なのだと思った。絵画をモティーフにした『野のなななのか』では、「線」で表現することの困難と限界をテーマとしていたように思えた。作中には、「血はあふれ出る命だ。線ではけっして描けん」という言葉が出てくるが、現実と虚構を隔てる「線」を取っ払うことこそ、映画という夢を見続けた大林監督の「命」だったのかもしれない。

考えてみれば、ほぼ一貫してそうだった。不思議な存在との邂逅だったり(『さびしんぼう』『異人たちの夏』『水の旅人 侍Kids』)、時空を越えた存在との出会いだったり(『時をかける少女』『この空の花』)、死者との思い出だったり(『その日のまえに』『野のなななのか』)。あるいは、「おれ/あいつ」の境界線を取っ払う『転校生』『転校生 さよならあなた』も、そのような主題として観ることができる。

ちなみに、山中恒『おれがあいつであいつがおれで』を『転校生』として映画化したさい、大林監督が意識したのは、当時の男尊女卑的な発想と紐づいた「男らしさ/女らしさ」を問い直すことだったという(ちなみに、原作小説『おれがあいつであいつがおれで』の文庫版では、斎藤美奈子がジェンダー論の観点から解説をしている)。この社会の「まぶたの裏側」を見て、それを「想像力」でもって「実体化」すること。大林監督にとって映画を作ることはそのまま、現実に対する変革の意志としてあった。そして、この映画と現実を同じ地平に見据えたありかたこそ、僕が大林映画に感銘を受けるゆえんだった。晩年の大林監督は、戦争について考えを深めていたと思うけど、とくに2010年代、そのような社会に対するメッセージと映画表現が見事に同じ地平にあった。「想像力」とか「境界線」とか「反戦」とか書いていると、「イマジン」を歌ったジョン・レノンを思い出す。ジョン・レノンの命日である12月8日は、真珠湾攻撃(長岡出身の山本五十六が指揮)の日であるとともに、長岡花火大会が開催される日である。最後に、愛すべき『この空の花 長岡花火物語』のことを。

2009年8月3日、大林監督は長岡花火大会を観て、妙に心奪われ涙する。「想像力が掻き立てられ、まるで映画のような花火だと思う」と。それは、終戦後の1947年に始められた長岡花火が、空襲で亡くなった長岡市民のための追悼と慰霊の花火だったからである。そこに、画家の山下清の言葉がこだまする――「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」。真っ暗な夜を照らす花火。しかし、暗闇を照らすという意味では爆撃も同じ。花火も爆弾も「真っ暗闇で見られるもの」という意味で、映画の「想像力」と同じ性質だった。大林監督はそのような地点から、名作『この空の花』の構想を立てた。企画から撮影に入ろうというとき、東日本大震災も起こった。「心のスクリーンが真っ白になった/日本のすべての事が止まり誰も表現する術を失った」。でも、苦しい現実のさなか、「まぶたの裏側」で映画を夢見るのが大林監督でなかったか。長岡花火もまた、「復興と再生の道筋を問い示す花火でもあった」。かくして、「3.11のこの時にこそこの長岡花火の物語を!」という決意にいたり、2011年7月から撮影に入る(以上、『映画の根『この空の花 長岡花火物語』全記録』から)。

映画のなかの出来事も外の出来事も、大林監督の「想像力」において同じ地平に並ぶ。『この空の花』は、画面に映し出された大林監督の言葉とともに映画は始まり、史実とフィクションが混じりながら物語が進んでいく。冒頭、松雪泰子演じる遠藤の言葉も、大林監督の映画に対する態度そのものに聞こえてくる。

2011年の夏、この日本の新潟県長岡市への旅でわたしが体験したものは、なるほど夢のような不思議な出来事ばかりでありました。でもこれは、すべてが実際の長岡の歴史。そのなかで長岡市のみなさんが体験された事実が元となった物語なのです。そうです。みんなみんな本当の話。この日本には、まだまだ多くの、人に知られていない、知られないまま忘れてしまった、夢のようなワンダーランドがあるのです。あなた、わたしと一緒に、さあ旅に出ませんか。

こうして、『この空の花』の物語は開始される。だとすれば『この空の花』は、夜に見る「夢」のような「不思議」な映画そのものである。クライマックス、パスカルズの演奏とともに映される長岡花火は、なるほど大林監督の言うとおり、暗闇を明るくする映画そのもののような素晴らしい花火だった。しかし、それは爆弾のような悲劇を呼ぶ悪夢かもしれない(実際、おばあちゃんは爆弾のような花火の音に耳をふさいでいた)。でも、爆撃はまた、花火のような美しさをそなえていたのもかもしれない。あらゆる常識的な境界線が「まぶたの裏」で溶けていくようだ。美醜? 善悪? 虚実? 男女? 生死? 「線」引きされない真っ暗闇の世界を「想像力」で実体化しよう。そのとき、世界は別のものになるはずだ。ヒロイン役の猪股南は、物語中、次のように言っていた。

ここに三人います。ここからわたしがひとり抜けます。そうすると、ふたりのあいだにすきまができます。それはさびしいさびしいすきまです。世界もそれと同じです。そのすきまを埋める力――それが想像力です。

いまこそ、大林監督に教わった「想像力」を駆使して、「さびしいすきま」を埋めるように、最大限に大林監督を偲びたい。大林監督が亡くなってしまったことは、ファンとしては本当に悲しくさびしいことだが、その暗闇のような悲しみのなかに少しでも明るさがあるとすれば、それは、「まぶた」を閉じればその裏に、その暗闇の世界に、現実とつながった大林映画の世界が広がっていることだ。体を悪くして心臓にペースメーカーを入れていた大林監督は、それ以来、生と死の境界線が曖昧になったと言っていた。大林監督の才能と心には及ばないから、社会的に引かれた「線」を消去することなどなかなかできないけど、大林監督が作った素晴らしい映画の数々を通じて、暗闇の世界に自分なりの「想像力」を育みたいと思います。大林監督の新作が観れないことはさびしいけど、「まぶたの裏」で、現実と映画が、この世とあの世が、ひとつらなりになったような世界を「想像」したいと思います。高嶋政宏演じる片山の劇中最後の言葉は、次のようなものだった――「さびしいときにはね、こうして目を閉じるのさ」。目を閉じて、深く深くご冥福をお祈りします。

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