【#遊戯王AC ディヴィジョン Verse.3】カジュアルにロジックは存在しないので、私はマイクを握った【22日目B】

こんにちは。アドカレの時間です。

前日のAパートです

そして、前日のBパートです。

それではどうぞ。


皆様薄々気がついていると思いますが、カジュアルにおける構築論は論ではないのです。
カジュアルデッキを組むにあたって、必要な動機とギミックを決めるのは自分の世界でございます。
自分の世界をどのように表現できるのかは、自分がどれくらいそのデッキに向き合う事ができるのかで左右されます。
陶芸や絵画の様に。他人の形や主張を参考にする事はできても、それは絶対では無いし自分の主張の方が正しいのです。
一番大事になっているのは本人の気持ちや情熱であって、それ以外はあまり関係ないものなのです。

しかし、残念ながら一部の界隈ではカジュアルなのに勝ちや負けに囚われてしまい自分の構築に悪影響を及ぼしてしまう人もいるそうです。
純粋な勝ち負けを競う競技ではそれが正解ですが、カジュアルは自分の世界観を表現する場所でございます。
勝ち負けよりまずは自分の世界が表現できたのかどうか、が本質でございます。
そうなると、向き合わなければいけない方角は自分自身を示します。
自分自身の気持ちにブレが生じてしまうと、羅針盤は乱れデッキは難波してしまうでしょう。

勝ち負けに囚われてしまうのは、カジュアルが村社会なのが大きく関わっております。
閉ざされた世界の中で、村の村長が勝ちや負けを大切にすると、村民も同じような価値観を共有したり強制します。
同様に、使用されて不愉快だったカードにもヘイトを向け追放して自分たちの領土を守っていった歴史がございます。
恐らく、勝ちたいよりも「自分が気持ちよく勝ちたい」が優先されているのでしょう。
法律や倫理観はどこへやら、村ではなく自治区まで墜ちていくとは去年は想像もできませんでした。
自由だろと言われるとそこまでですが、なんだか疲れてしまいます。

そう考えると、カジュアル自治区というのは勘違いした人間が名ばかりの構築論を振り回していたり、評価軸にならない勝ち負けを理論武装し自分と他人の高低差を押し付けている嫌な場所ではないでしょうか。

事の始まりが非合理的だし、排他的だし不自由なので多少わかっていた事ではありますが。そんな人間たちに変わってくれと、どれだけ本を配っても6秒以上脳を動かすことが出来ないみたいですね。

ならば私は、手に持っている聖遺物を床に捨て、ソニー製のハンドマイクを握るとしましょう。

自分が正しいと思っている愚かなデッキメイカー
承認欲求に負けてねぇか行っとけ精神外科
バズり狙いのお気持ち表明
恥ずいぞ言葉を絞り込め
遅刻程度で人間失格?
そのツイートがイメージダウン

お前らは無意味に自分のデッキにプライドを持っているが
プライドなんて構築に悪影響しかないんだよ

あのカード使ったらおもんないとか
こんな動きする意味はないとか

そんなんだからお前らのデッキ面白くないんだよ
自分のデッキをインプレッションの数で肯定すんな
自分が納得行くまで悩まないといいデッキは組めないんだよ
どれだけ悩んだかわかるんだよこっちは
仲間内で評価されていい気になってろよ
他人に気を遣ったデッキで一生終えてろ

おいお前、何やってんだ?早くマイク握れよ。
カジュアルは気持ちだろ?合理性なんてどこにもないだろ?
俺が知りたいのは辿り着いた道筋なんだよ。
それでもそのカードを使いたいんだろお前は。

だからマイク握れよ。お前のリリック聞かせてくれよ。
お前のワンバースで観客ぶち上げろよ。


明日はこの二人です。

お疲れさまでした。

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