矢野沙織

アルトサックスプレイヤー/コンポーザー コラムや日記、短編小説を書きます。 演奏動画もアップしていきます♪ 機嫌の取りづらいヴィンテージ楽器の操作と幼児の育児に奮闘中!よろしくお願いします。

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    国際ジャズデー

     今日は国際ジャズデーです。  私もジャズという深溝を覗いて20年が経ちました。  ようやく向こうもほんの少しこちらを覗き返してくれ始めたように感じます。  今年もステイホームの推奨される連休となりました。  様々な報道や新しい情報が錯綜し、混迷を極めている現状に表向きはあまり改善は見られないように思いますが、果たしてそうでしょうか。  笑っていてもより悪くなったこともあるだろうし、この一年の生活様式変化で何かしら失敗して今は立ち上がる力が無くてなってしまっている人も多いか

      • 二度目の出産

         2020年は世界中のどの人にも印象的な年となった。  日本では「コロナ渦」と呼ばれだしたのが20年代の幕開けである。  既に音楽活動はしていたものの、00年代に女子高生だった私はミレニアル世代最強気分極まれりと、常時チュッパチャップスを口に入れ、一日中ブレードヘアの絡まりを気にしていた。そんな私ですら、1920年代の楽器を前に  「現在を00年代として、20年代はどうなっているかな。」と思いを馳せていた。 それは宇宙人の登場だ、とか、答えは1ドル紙幣の裏側にある、だのと話

        • 【怪談 第二回 / 実話】 「見えてるのかと思ってた。」

            音楽をやるのには、たくさんの気を飛ばし合う。  それをキャッチしてもらったりしやすい人だとか、日だとか、場所だとか、音には音楽理論だけでは説明のできない 「はみ出た感覚」を必要とする時が必ずあると思う。 当然「こうきたら、これかこれかこれが適切です。」という反応のロジックも際限なく確立されているだろうし。それを教えるのが音楽教室であったりするのだと思う。  でも毎日毎日何十年もジャズをやったせいか、はたまたその感性があるからこその生業なのか、感覚が第七感くらいまで

          • 一人っ子最後の夏

             今年は娘の一人っ子最後の夏であった。  沖縄に行こうとも、どこかテーマパークへたくさん連れて行こうとも思った。とにかくたくさん甘えさせ、これでもかというくらい遊びたいと思っていた。  しかし、こういう状況下でそれはできなくなり、とても残念に思ったが、無駄に可愛い水着を買い、それを着せて人混みを避けて毎週小さい川へ行ったり、ほんの少し水遊びのできる近所の公園へ行ったり。そして絵本でしか見たことのなかった憧れのコーンに乗ったアイスクリーム。真っ赤なかき氷。  私は留守番にて怠惰

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            【怪談 第一回 / ヒトコワ】 ドラマの女

            初めての短編を読んで頂こうと思う。お盆最終日、怪談のつもりである。 なぜかしら私は昔から人から秘密を打ち明けられることが多い。 そして打ち明けすぎた人はある日私の周りからふわりと消えてしまうのだ。 昔こんな女がいた。 当時37歳フリー高級輸入家具代行業。女性。 その女は恋人と付き合い出した関係に平穏が訪れると、なんでもない小さなことでも「嘘の事件」をでっちあげて二人の中だけでドラマにしてしまう癖があるのだという。 例えばただ電車で帰宅しただけなのに、彼氏に

            耳がいいわけではないんだな、これが。

             私は目の高さに電車が通る立地で18年間生活した。   それにうちには物心ついた頃からテレビがあったりなかったりした。   効かない大きなクーラーが一台あるだけで、「あり得ないくらい暑いだろ。」と子供心に思っていた。つまり夏場はおそらく常に窓が開いていたはずなのである。   でも私に電車の音は聞こえなかった。   きっと建物ごと揺れるくらいの距離だったに違いないのに、だ。   その癖、私は小さな頃から細かな生活音や気配の音が嫌いだ。生の食べ物が入り混じっているのスーパーマー

            二度目の妊娠

             今年の時間の経ち方は皆平等にとても奇妙だったと思う。  もう下半期も甚だしいのだから。   当たり前のだった事ができないとなると窮屈に感じたり、また、極度の出不精の私でさえ「行っちゃダメです。」と言われるとオヨヨとなった。目に見えない脅威に対して行動を制限される、または「自粛しなさい。」と言われる曖昧さの怖さ。  妊娠に気付いたのは1月の末であった。   妊娠したことがわかった瞬間と言うのは特有の浮遊感に包まれる。夢みたいなのだ。  妊娠がわかりたての頃など、まだ子供は受

            名古屋ブルーノートに思いを馳せて

             名古屋のあの感じはなんなんだろう。   表裏一体となった街全体が碁盤の目に整っていて、GUCCIの裏はスーパーゲットー歓楽街である。こんな街は他にあるのだろうか。  そして、名古屋は私から見ると「表裏」が上手く棲み分けすぎていて非常に面白い。両方が太陽と月のように美しいのである。 ウィンドウショッピング中に何か買おうか興奮したら必ずコメダに駆け込むが、何度コメダに入ったか定かでない時間帯になって来ると、なぜかたまらない気持ちになる「名古屋の夕方」がやって来るのだ。

            第二子を授かって

             こんな時期に突如訪れてくれた女の子は私のお腹の中で日に日にあばれるくんとなり、なんだか楽しそうにしている気がする。  長女よりかなりよく動くのか、2回目だから胎動を感じやすいのかよくわからないが、今のところ彼女は既に「あばれるくん」である。  音楽の在り方やなんだと記事を書いて来たが、この時期の妊婦さんは大変である。  不要不急の外出はもちろん、外来もやんわりと止められるので、あんなに混んでいた産科には検診待ちの数人の妊婦さんしかいない。   毎回「また2時間待ちか〜。ひ

            ママ友ってなに?

             疑問である。  元々友達の少ない私には尚のこと疑問である。  友がたまたま同時期に出産していたり、友がとっくに母親になっているのを知っていて子育てについて共有し笑う程度の事はあるが、それは元々「友」がママになっただけだから話しているのである。  でもその実、私だってママ友が欲しいと思っている。  公園で子供同士が自然とやり取りをするのを見るのは本当に楽しいし、娘だって小さいくせに、自分より小さな子が来れば何やら親切にしたりする素振りを見ていると「特に教えたわけじゃないのに

            抜け感コーデ

             私は芯を食ったお洒落さんではない。  若い時は髪を長く長くブレーズに編み込み、頭にはターバンをして全身に布を巻いてラスタカラーを好み「ヤーマン」と言ってみたり、18センチの毒毒しいハイヒールにコルセットをぎゅうぎゅうに縛ったまま演奏をしていた時期があったり、フラッパーガールになり切りたい時期もあった。  見た目上、その3種類に共通項はないが、未だにそれらは私の愛すべきスタイルである。その中のジャンルの小物ならばいつ見ても「ウヒョッ」っと心踊るものだ。  そこでである。 

            クッキーくださいな

            私には昼も夜もなかった。 頭の中だけで無限に広がる横軸に、音楽、文学、恋、映画という様な縦軸が昼夜問わず差し込んで来るだけで、1日がいつまでも終わらなかったのだ。 好きな時に好きなことをし、着たいものだけを着て、食べたいものだけを食べ、言いたいことだけを好きな言葉だけ使ってめちゃくちゃに喋った。 そんなんだから、基本の衣食住は雑で、「それでいいし」と言っていたのは裏腹で。 仕事上の役得とでも言おうか、演奏家以外の様々な方にお会いする機会も多く、音楽事業以外

            月桃の花

             6月23日は沖縄慰霊の日です。  私が初めて沖縄を訪れたのは高校の修学旅行だった。  その時は沖縄に歓迎されなかったのか、私は到着早々最南端のガマ(沖縄の防空壕)の中に入り、懐中電灯を消し、ガマの中で戦争体験をされた方からお話を伺っている間に高熱を出した。  貴重な体験ではあったが一向に下がらない高熱に楽しい青春旅行は叶わず、ずっとホテルの中から落ちて来そうなほどに青い沖縄の空を見ていた。熱のせいでそう思ったのかも知れないが、手に届く様な空だった。  それから数年後には2

            Mr.Cobb

             初めてニューヨークでライブレコーディングをしたのは18歳の頃だった。 その頃、私の演奏は報道ステーションのテーマに抜擢されたり、演奏会場も格段に大きくなり聴いてくださる方も急に増えた頃だった。  好きではなかった高校もようやく卒業し、進学も選ばなかったので集団生活からも開放され、環境は様変わりし、楽しかった。  その反面、出来ない事に対するオーダーから自分を守るために怒ってばかりいた年頃でもあった。足元のないまま周囲だけが変わり、不安や期待で感情が有り余っていたのだ。  

            私なりに考える 「ジャズミュージシャンになるには」

            ジャズが好きな人は、 「ジャズミュージシャンになるにはまずどうしたらいいだろうか。」と一度は考えたことがあるだろう。 他の人がジャズの景色をどう見ているかはわからないが、私は最初からいつもステージに立つ自分のことを客席から見ていた。 ごく自然にそこに立つと思い込んでいたのだ。 そのイメージの中では自分は完全な観客だ。 その観客がちっとも関係ないことを考えながら「矢野沙織の演奏」を聴いている空想をしていた。 演奏者の自分が主役なのではなく、 ひっそりと私のライブを見に来ている

            再生

            日野さんには嘘がつけない

            日野皓正さんには嘘が吐けない。 こう書くと私が年中嘘を吐いているように聞こえるが、そうではない。 いつか日野さんのバンドのリハーサルで緊張した私は 「なるべくジャズっぽく上手に聴こえるようわざとディレイ気味に吹いて、八分音符の裏拍を意識して強く発音しよう」と考えて演奏したことがある。 すると、日野さんは私のソロが終わるとスッと横に立ち 「嘘つき」とだけ言って自身でソロを吹き出したことがあった。 ものすごくドキッとする。 だって確かに自然に出た粘りではなく「ディレイしよう」としてした吹き方とアクセントで演奏したのは本当の意味での裸の演奏ではないのだから。 強い言葉で片付けると「嘘つき」となるわけだ。 「頭の上から降りてきたものを楽器をスピーカーとして音を出しなさい。」いつもこう仰られた。 演奏上の会話はもちろん、ステージを降りた後も日野さんと話すのは楽しくて大体いつもかなり洒落ている。 真夏に食事をした時、日野さんは履き馴染んだネイビーのスエード素材の靴を踵を踏んでソックスなしで履き、オーバーサイズの白い麻のジャケットを羽織り、バンブー素材の眼鏡を掛けて現れた時には、 思わず「いやあ、ハイカラですねえ!」と感嘆を口にしてしまったものだ。 だってそれはまさに、夏も傾いたオフの日の夕方から軽く近所で食事をする人のお洒落であったから。 そういう天性の洒落者の才能が日野さんの細部を造っているのだ。 格好つけているんではないのだ。 格好が良いのだ。