言葉への過信って怖いよね
最近、やたらと「言語化」という言葉を聞くようになった。
自分を見つめ直したかったら心の中を言語化。
関係性に問題があったら原因を言語化。
自分のやりたいことを言語化。
会社の問題点を言語化。
正直結構「あぶねぇな」って思っている。
なんでかというと、それは簡単な話で、言葉は不完全なものだからだ。
あくまで、見えないものを見える化する道具でしかない。
つまり、言語化は目的ではなく手段だ。
しかも、正確性の危うい、非常にもろい手段。
だからこそ、石橋を叩いて渡るように、丁寧に扱わなければならない。
それにも関わらず、いまは何かとすぐ「言語化」という言葉が出てくる。
トレーニングもせず家で食っちゃ寝していた人が、いきなり100m走をするようなものとも例えられるかもしれない。
いちおう100m走ることは出来るけど、本来のパフォーマンスとは程遠い。
言語化は出来るけれど、本当に言葉にしたい状況/現象/心情からはズレている、かもしれない。
そんな疑いを持たなければならない。
「自分は言語化得意ですよ」という他者も、その能力が本当かどうか、信頼するに値するかを見極めなければならない。
もしかしたら、まったくのでたらめなフォームで自分よりは速く走れるだけの人かもしれないし、理論は詳しいけど実は走るのは全然速くない人かもしれない。
まぁ結局言いたいことは、言語化に価値を感じるのであれば言語化のトレーニングから始めましょうということだ。
いきなり結果を求めるのは非常に危うい。
そして、トレーニングしたからといって完璧な成果が出るわけではないということも。
あと、言語化することが必ずしも正しいとは限らないということも。
言語化に囚われそうな人がいるならば、いったん落ち着いて「それって本当に言語化する必要ある?」と考えてみてほしい。
必要があれば言語化にチャレンジしてみればいいし、必要ないと思えばそのままでいい。
言葉にすることで陳腐になってしまうことだって、沢山あるんだから。
もしめちゃめちゃ満足して頂けるようなことがあれば!