その苦手、思い込みじゃない?

開幕早々いやいやそんなことはない、と読んでくださる方の中には感じる方もおられるかもしれません。確かに思い込みなどではなく本当に苦手な場合もあります。これはそんな苦手の中にも思い込みから来るものもあるんじゃねーかという考えの持論なので「ヘぇ〜、そーゆー考え方をする奴もいるんだ〜。」的な心持ちで聞いてもらえると嬉しゅうございやす。

まずなぜこのような考え方を持ったのかと言いますと、最近、今まで思い込みで得意ではないと思っていたことが取り立てていうほどでもないかもなと思い始めているからです。

それは何かと言いますと、「子供と接すること」です。

結果から言いますと、私は「子供と接することが苦手という思い込みをしているだけだ。」ということに最近気付かされたんです。

今から順を追って私が子供と接することを得意ではないと思い込むようになってしまった過程とそれが思い込みなんだと認知したきっかけについて話していきたいと思います。

子供が好きだった頃のこと

高2の頃くらいまで私は子供が好きだったと思います。

夏休みには高校の行事として子供たちと触れ合うというプログラムに2週間身を置いたことがありました。

高校での寮生活中に寮のお偉い方に子供がいたのですがその子達とも積極的に関わっていました。

苦手と感じたキッカケ

そんな子供と接することが得意だと感じていた私はどこの時点で「自分は得意ではないのだ」と認識するようになっていたのでしょうか。

恐らくそれは去年の夏頃に知り合いの子供がうちに来た頃からだと思います。

今になって理由がわかってきたのですが、自分の子供と接するときのテンションと、家族と接する時のテンションに相違があったことが大きな理由なのではないかと思います。

私は会う人ごとにテンションを使い分けるようにしている人間なのですが、この状況では子供に対しては高めのテンションでいる自分と、家族に対しては控えめなテンションでいる自分の2人が必要な状況だったのです。

普段はテンションの違う2人の自分が必要になった状況でもうまく切り替えることはできて違う自分を見せることに抵抗はないのですが、時折その切り替えがうまくいかない時がありました。

私にとっての最たる例が家族の前で子供と接するときだったのです。

家族の前で高いテンションを見せたくないという思いがあったので私が子供に対して使いたいテンションで接することができなく、上手く立ち回れず仲良くなれませんでした。

そのことを後々考えていくうちに仲良くなれなかったのはテンションの使い分けができなかったことが大元の原因だと言うことがわからなくなってしまい、単に自分は子供と接することが苦手なのではないのかと思うようになっていたのです。

苦手なことはあまりやりたくないと思う性分の私はその考えから子供と接することを自然と避けるようになっていったのかもしれません。

これが思い込みによる苦手の発現フローだと思いました。

思い込みが苦手を作っていたことに気づけたキッカケ

しかし、最近この馬鹿馬鹿しい思い込みに気づくことができるような出来事に出会いました。

私は夏休みの1ヶ月の期間ヤッチャの学校というプログラムに参加しているのですが、住まわせてもらっているところによく近所の方の子供が入り浸っているのです。

例によって私は子供は苦手だなぁと思っていたのですがいざ一緒に遊んでみるとそんなことはなく、むしろめちゃくちゃ可愛らしくていいじゃねぇかと思ったのです。

そのときに私はその時まで感じていた苦手という感情が思い込みから形成されたものだったんだと気づくことができたのです。

まとめ

読み手の皆さんが苦手と思っていることの中にも、もしかしたら自分の思い込みで勝手にそう感じてしまっているだけのものもあるかもしれません。

私は幸いにもキッカケがあったのでこれに気づくことができたのですが、キッカケはそう簡単に訪れるものではないと思うので、一度自分が感じている苦手なことのそう感じるようになった理由を改めて考えてみることもいいかもしれません。

その苦手は自分を守るために感じるようになっただけの、ただの思い込みなのかもしれないのだから。












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