一年の計は元旦にあり
年末年始が繁忙期の業界で働いてるため、今年もお正月休みは元旦だけだった。そんな元旦をいつもと同じようにダラダラと過ごしてしまった。
年越し蕎麦を食べて0時を迎え、新年の挨拶をして初詣に行き、遅めに起きて朝と昼が一緒のお雑煮を食べ、昼寝をし、起きてもなおゴロゴロしていたら、元旦が終わった。
「一年の計は元旦にあり」
頭の中で誰かがささやいた。
焦った。初詣で引いたおみくじは大吉で、なんとなく2018年は今までよりも素晴らしい一年になる気がする、なんて思っていたけれど、元旦からいきなり自分を甘やかしてしまった。
明日から早速仕事なのに掃除も洗濯もしなかったし、夜ご飯にひとりで贅沢しただけだった。一年の計は元旦にあり。このままでは2018年もズボラでダラダラな一年になってしまう。
藁にもすがる思いで、ことわざの意味を調べた。元旦はまだあと数時間ある、ことわざの意味によっては、まだまだ挽回できるかもしれない…。
調べてみてわかったのだが、わたしはこのことわざの意味を勘違いしていたようだ。元旦に起きたことや、元旦に行ったことがこの1年を象徴する、というような意味だと思っていたが、どうやら違うらしい。
一年の計画は元旦に立てるべし。
ということらしい。つまりは、一日の目標は朝立てるべし、ということで、何事も早めに計画せよ、というようなことらしいのだ。
なるほど、ほっ、と胸をなでおろし、再びベッドに入る。今から手帳を広げて、一年の計画を立てれば挽回できるということだ。明日から仕事ではあるけれど、とりあえず明日のことよりもこの一年について想像を膨らませてみる。
この家にいるのももう一年あるかないかわからない、今そばにいる人たちのそばにいつまでいられるかもわからない、楽しいこと幸せなことばかりに想像を膨らませているわけではなく、辛いこと悲しいこともあるのかもしれないと不安にもなる。
備えあれば憂いなし。この一年でどんな自分になっていたいか、どんな暮らしを大事にしたいか、誰と一緒に笑っていたいか、まずは目標を立てて計画を立てるという、ありがちで当たり前なことから始めてみようと思う。ありがちで当たり前を、侮ってはいけないよ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今年はもっとたくさんノートを更新するというのが1つの目標でもあります!そのなかでたくさんの出会いがあることを楽しみにしています。
可菜
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