ミスチルが好きなあの子のお母さん
今日は、好きの度合いを比べてしまう話について。
仲良しの近所の友達のお母さんが、ミスチルが大好きだった。そんなことを思い出したのも、朝目覚めが悪くて音楽でも聴こうと思い、なんとなく選んだのがミスチルだったから。Tomorrow never knows いい曲。
その子のお母さんは、若いころからミスチルが大好きらしく、話を聞く限り本当にミスチルを愛していた。(きっと今も愛している。)ライブにもよく行っていたし、ファンクラブの会員に送られるであろうミスチルからの年賀状がお家に飾ってあった。そして何より、ミスチルについて話す時の目のキラキラから愛が伝わってきた。
わたしはその姿を見て、もうミスチルのこと20年くらい好きってことか、本当に好きなんだな、すごいな、「いいなぁ」と、思っていた。
なぜ、「いいなぁ」なのか
だって、20年も好きだったら胸を張って、わたしはファンですと、大好きなんだと言えるから。そこらのファンよりはだいぶ好きの度合いが上だから。こう思っていたから、「いいなぁ」なのだ。
自分には、そんなに胸を張って公言できるほど好きのレベルが高い「好き」が見当たらなかった。だから、いいなぁ、なのだ。
それこそ、わたしにも好きなものくらいはある。コブクロは小学生のときから大好きだ。でも、ライブには一度も行ったことがない。逆に、高校生の頃に好きになったバンドのライブにはもう10回は行っている。
映画も好きだ。中学生の頃は毎月、映画情報誌のLOADSHOWやSCREENを買っていた。800円近くする割と値の張る雑誌だった。ハリウッドスター名鑑なんかを読み込んだり、映画パンフレットの後ろの方にある脇役の俳優の名前まで覚えようと努めた。ただ、年間300本映画を観ます、という映画好きはゴロゴロいる。そんな人たちには敵わない。あとジャンルも偏っているし、"映画好き"だなんて自信を持って言えない。
あと、服も好き。だけど、わたしよりお洒落な人なんて世の中には山ほどいる。何かのプロフィール欄に"Fashion"って書くだなんて、畏れ多くてできません。
こんな感じである。
ネガティヴすぎてうざい、と思われるかもしれないが、好きの度合いを、他人と比べてしまう。 こんな思考になってしまったのは、なぜだろう。
SNSなどで、「最近顔ファンが増えた」と言っている人を見かける。
このくらい好きです、と言えば、俺はこのくらい、と張り合う人も見かける。
いついつから好きです、と言えば、わたしはもっと前から、と言う人も。
結局わたしは、まわりに何か言われるのを気にしているのだ。
わたしも含め、もっとシンプルに、好きなもんは好き!で発信しあえる世の中であればいいのに、と思う。いつから好きとか、このくらいお金と時間をかけたとか、こんなところまで知ってるとかを人と比べるなんてこと、どうだっていいのに。
情熱をその好きなものに傾けられるという、その熱量の話だけでいいのに。好きな者同士で、その熱量を共有できたら楽しいのに。
そんなことをふと思いながら、最後に。
まわりの声を気にしてる自分って、小さいなぁ。好きの度合いを比べてしまう癖、直さなきゃなあ。好きなもんは好き。それでいいのにね。
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