わたしの身体との対話
佐々木ののかさんの、五体満足なのに、不自由な身体を読んだ。わたしとわたしの身体はもちろん一心同体で、同じで、コントロールできて、把握できるものと思っていたが、どうやら違うようだ。
物心ついた頃から、手先の器用さと運動神経について悩んだことはなかった。字もそれなりに書けたし絵も何度かコンクールで入賞した。彫刻刀も使えたし裁縫もできた。スポーツ選手になりたかったわけではないから、小学校1年生から高校3年生までの12年間、スポーツテストでA評価が取れただけで運動神経については満足だった。身体の動かし方がわからない、身体がいうことを聞かない、と悩んだことは滅多になかった。
わたしがわたしの身体のことを把握していないのではなくて、たまに病気や不調が邪魔をするから思うように動かないこともある、あと、できないことがあるのは才能や限界であり仕方がないこと、くらいにしか思っていなかった。
しかし、部活動を辞めてから酷くなった肩こりのために整体やマッサージに行くようになって、おやおや、思うように身体が動かない、身体が言うことを聞かない、そもそも、わたしの身体はどこをどう動かせば思い通りになるの?と初めて自覚することとなった。
力を入れているつもりはないのに、いつも、力を抜いて、と言われた。最初は深く考えていなかったが、社会人になって3か月が経った頃、やっと行けたマッサージで「ちゃんと息してる?」と言われた時は驚いた。
息って勝手にするもんじゃないの?わたしの身体に息しろって、命令しないとちゃんとできないの?
息してる?の意味がわからなくて、夜寝る前に深呼吸したりしてみた。どうやら、頭に酸素が回っていなくて血が滞っているらしい。抗えない病気でなんでもなくて、わたしの身体の使い方が間違っているから、血の巡りが悪くなっているらしいのだ。
たしかに入社した当時は必死だった。毎日人と話すことは体力も気力もつかう。息することなんて忘れていた。最初は気力で乗り切っていたいろいろも、なんだか体がだるくて無理するようになった。でもまだ大丈夫、わたしの身体は全然大丈夫だった。
突然の転勤から半年以上もそんな感じで不調だった。わたしはわたしの身体のことが分からなくて、そのことについては遠くに置いておきたい気分だった。ちゃんと息してる?という言葉は、忘れることにした。
それから2年後、初めてヨガに行った。そのときに、息をすることを初めて知ったのだ。ものすごい勢いで、とてつもなく深い息をする先生に驚く。同じように息を吸ってみるが、空気が全く入ってこない。逆に苦しくなって咳き込んだ。息の吸い方がわからない。当たり前のように身体は動くもの、と思っていたわたしには、一番簡単だと思っていた「息をすること」ができないなんて、あまりにも衝撃的だった。
それから、歯に力が入っていることにも気付かされた。全身の力を抜くだらけたポーズをしているのに、わたしは歯を食いしばっていた。他にも、肩を伸ばすポーズのはずが肩の筋肉がこわばって縮こまっていたらしい。
言われた通りに動かしているつもりが、全然思った通りに動いていなかった。わたしの身体は、まるで他人だった。
それからというもの、家でもYouTubeのレッスンを見ながらヨガをしているが、毎回気付かされることが多い。久しぶりにヨガをすると、息が吸えなくなっていることもあるし、手を前方に投げ打つだけで、「肩甲骨まわりの伸びを感じますね」と言われハッとする。そうか、こうすれば肩甲骨まわりの筋肉って伸びるのか。自分じゃわからないなぁ、自分の身体なのに。
佐々木ののかさんの舞台を観劇して、自分の身体について思うことをダラダラとではあるが初めて言語化できた。つまりここ数年で得た気づきは、自分の身体は他人のようで、よく知ろうとしないと身体に対して失礼で、うまく付き合うことができない、ということだ。
わたしとわたしの身体は生まれた時から一心同体で、何も話さなくてもお互いのことを分かっているというわけではない。対話をして、歩み寄ることをしなければ、文字通り一心同体にはなれないということだ。
わたしとわたしの身体が一心同体になれることが、心身の健康であり目指すべきところなんだろうなぁ。
難しいけれど、これからも身体との対話を頑張ってみます。肩こり治るといいな。
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