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あついさむい

真夏のクーラーの20度と、冬のエアコンの20度の体感は絶対に等しくない。まあ当然というか、同じ気温であっても夏の高湿の気候と冬場のカラッとした晴天では体感は異なるに決まっている。

こうした毎日の気温や気候、体温の変化に敏感に反応して、無意識に暑いだの寒いだのと口にする。生涯を通して一番口にしている独り言ではないかと思うほどに多い。辛いときこそ辛いとあえて口にするように、発話によって痛みの軽減を期待するわけではなく、ただの意味の無い確認である。

もし意味があるとすれば、温度を感じるということは何かや環境の変化を受け取っているという作用で、自身の置かれた環境と対話する機会である。毎日「今日も生きていた」と思うほど死に敏感でなくとも、皮膚は死に、新たに呼吸を覚えたゆえの必然的な;体が「今日もしんどいな」と言うように重さを増す毎日に鈍感でいないための機会。であるとするなら、一日何回言ってもいいだろう。

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