悟空の輪っかと天気の子

健康とは素晴らしいものだ。同世代が徐々にぽっちゃりお腹や背の歪み、崩壊する食生活とライフスタイルに脅かされ日々SNSに健康を目指す奮闘日記ているなか、僕の身にそれといった不調は皆無である。皆無とは言い過ぎた、ここ最近その手の問題はほぼなかったというのが正しい。毎日筋トレをおこなっているからか足腰が重い、身体のあちこちが痛むこともない。筋トレや運動、日々の仕事で疲れすぎて翌日動けなくなることもない。


定刻での起床/就寝、起床後の体幹トレーニングとヨガ、徹底した食事管理、足りない栄養素はサプリメントで補填、毎日水を2ℓ飲む、毎日の筋トレと自転車のスプリント(自宅が少し山にあるためほぼ毎日マウンテンバイクで山登りしている)、仕事でのMTGやゲーム友達との適度な発話による適度な息抜き(一年でゲーム2000時間は適度ではない)、飲酒は1ヶ月に1回あるかないか...


これでもかという具合、健康には気を遣っている。その理由は数年前に我が身に降りかかった災難にある。数ヶ月のうちに軽度の鬱、身体症状症(自律神経失調症)、原因不明の頚部腫瘍の摘出、風呂上がりの転倒による救急搬送を経験...etc おかげさまで身体が元気なうちに過剰なほど健康に備ておく習慣がついた。何なら腫瘍摘出日に女の子に振られて「死の恐怖より失恋の痛みの方がでかい」などという謎の教訓もえた。もはや無敵である。


もちろん個人で会社を営んでいるため、いつもスーパースターでクリボーやノコノコを倒し続けられるわけではない。すなわちストレスフリーというわけではない。むしろ、常に半年先の自社の売上や、クライアントの成功(そのほとんどが事業創造なので失敗も多いわけだが)に邁進するため常にストレスはある。それでも、心身の調子には気遣っているし、自律神経を壊して以来不調の兆しは事前にある程度わかるため調整が効いている。スパイダーマンが命の危機を感じると肌がむずむずしてハッと周りを見渡すあの感覚が今の僕にはある。


残念ながらスーパーヒーロではなく、一般ピーポーだ。超回復能力もなければ、怪我に耐性があるというわけでもない。日々心身状態に気を遣っているのだが、ここ最近新たな心身不調が訪れた。日本国民誰しも経験したことがあるであろう身体症状No1と言っても過言ではない、君の名は...「頭痛」である。しかも程度が酷い。読んで字のごとく「頭を抱える」くらいの痛みがここ最近定期的に訪れる。こんだけ身体に気を遣ってるのにまだ不調あんのかよ。我ながら草、大草原。 


また新たな病気か?慢性的なストレスに悩まされている?緊張型頭痛か?家庭の医学を本棚から引っ張り出し、あれやこれやと逡巡するうちに一つの解に辿り着いた。ズバリ「天気」である。正確にいえば、気圧。これは加齢によるものなのかはわからないけれども、天気が悪く気圧の上下があると決まって頭が痛くなる。


お陰様でWeather newsに頼らずとも天候の悪化や雨が予測できるようになった。とりわけ不調が凄まじい時、食べたものを吐きそうな勢いで痛いし、気分が悪い。寝起きの悪天候なんか最悪である。意識がハッキリしてきたと思えば、外は暗いし、身体はだるい。立てば目眩、座れば頭痛、歩く姿は高齢者。もう一生お布団に潜りたくなる。お布団最高。


ここで一つの真実に行き着いた。どれだけ心身の健康に気をつけ、知識を身につけ、実践しているにもかかわらず自然には勝てない。もし私が健康教なるものを設立し聖書を書くとするならば1ページ目に「はじめに気圧ありき」と書くだろう。自分で言っといてなんだが、そんな聖書は読みたくない。だが、僕はどうやら気がつかないうちにお天道様に洗礼を受け、入信していたらしい。洗礼名は西山・ヘッドクエイク・和馬である。入信すると折れなく孫悟空の頭に付けられている輪っかがもらえるらしい。またの名を緊箍児(きんこじ、って読むらしい、読めねぇよ)。

どうやらこの輪っかは当人も知らぬ間に強制的に頭に嵌められ、お天道様の気分いかんで定期的に締め付けてくる優れものらしい。ちょうど冬くらいから酷くなってきたので寝てる間にサンタにでも取り付けられたのだろうか。知らんけど。悟空の気持ちってこんな感じだったのか。別世界では「悟空のきもち」なる、受ければ一瞬で寝落ちするくらい心地よいヘッドスパ?があるらしいんだけど、サンタさん今からそっちにかえてくんねぇかな。


この輪っか、よし今日は仕事頑張るぜ!という本人の意志も虚しく「ハイハイ!ストップストップー!」と生産性を強制的に落とす着脱不能の装備品だ。どうやら宗派が異なると見えない仕様らしく、友達に「悟空の頭に輪っか嵌められて常に締め付ける感じで辛い」といえば「ふーんそうなんだ。大変だね」って言われる。大変どころじゃねぇよ馬鹿野郎。人生はつらたん、やばたん、ハッピーターンというが、ハッピーなターンが来る未来が見えない。もちろんそんな格言も存在しない。


これは健康教徒に共通の課題なのか、人類皆に訪れる加齢の副産物なのかは知らないが、仕事もゲームも捗らないので、もう本当にどうにかしたい。どうにかしたいのだが、あれこれと対策を巡らせようにも天気には勝てないのである。悩ましい。


そんな頭を抱えてもがき苦しんでいたところ、聖書の代わりと言ってはなんだが、現在の私が聖典のように崇めるツールを手に入れた。その名も「頭痛ーる(ずつーる)」。天気と気圧の変化をグラフで表示するというただそれだけのツールなのだが、人類のイノベーションの中で1.2を争うくらい最高のアプリケーションだと個人的に思っている。イノベーション大賞はこのサービスにあげたいくらい。


可愛くも雑いイラストで書かれた猫ちゃんがシンボルの「頭痛ーる」はとにかくすごい。このくらいの時間帯に気圧が変化するよ注意!急激な変化を起こすよ!注意!と表示してくれる。私はそれを見て「あー、きっとくるー。きっとくるー」と頭痛に身構えることができるようになった。唐突にかつじわじわと本人も無自覚のうちに頭が締め付けられるより幾分マシである。


頭痛予測を立てたら、あとは対策だ。事前に察知して病院で処方された五苓散なる漢方薬を飲んだら準備万端。あとは頭痛がくるか、程度はどの程度かを祈るだけである。痛くなってから飲むのではなく、痛くなる前に飲んでおくというありふれた対策だし、何なら飲み方があっているかすらわからないが、幾分マシになったので、良しとする。


四季は美しいが、季節の変わり目は天気と気圧の変わり目、すなわち体調不良の始まり。自然環境の変化に合わせて伸び縮みする変な輪っかをサンタに勝手に装着された身なので、季節の変わり目はまじダルい。もう四季のない国に引っ越したいくらい痛い。痛いのが1-2週間は続く。痛いの嫌だ。冬は特に天気も悪い。春よ。はよこい。


兎にも角にも、心身不調のもどかしさは言葉で痛みを伝えることができても伝わることはない点にある。身体の痛みは人に共有し難い、なんなら痛みの程度もわからない。今この時感じてる痛みは絶対でも、また他者からそれは絶対に見えないのである。耐え忍ぶしかない。


痛い痛いと言って耐えてても傍目から見ると「なんかこいつ言ってやがる、大袈裟やな、頭痛程度で」って思う人もしばしば。痛みを抱えるってのーはつまるところ孤独なのである。


痛みの孤独さは想像を絶するものがある。たかが頭痛に?と思われるかもしれない人には次の文章を読んでほしい。

「本人の意思に関わらず、自然環境の変化で頭痛が、酷い時には目眩がし、吐き気すら催す状態が不定期にしかし確実にやってくる」


自らの身に降りかかると考えると嫌じゃない?普通に。嫌だししんどいでしょ。中には身体症状に鈍感だったり、生まれてから一度も不調を感じたことがない五体満足心身充実してる人もいるかもだけど、しんどいのよ。こちらは。そんな人に「たかが頭痛くらいで」と言われようものなら、しかもそれが仕事の関係の人なら仕事へのモチベーションとエンゲージメントはダダ下がりである。心の中は台風を越してサイクロンくらい荒れ狂うこと必須。


ここでまたしても我々に救いの手を述べるのは「頭痛ーる」である。かのツールは体調を書き込む機能もあり、年に一回か数回かにみんなが書き込んだデータも公開してくれている(らしい)。天気が悪い時、気圧の変化が凄まじい時、ユーザーは皆「不調」を記録しているらしい。自分以外にも天気と闘っている民がいると思えるだけで、ちょっとホッとするし安心する。お互い何の助けもできねぇけど、一緒に戦おうな!オメェらは仲間だ!と勝手に仲間認定している。気圧の変化で体調が大幅に変わりますか?という問いにYESと答える全てのひとへ。あなたは親愛なる隣人である。共に戦おう。僕が言いたいのはそれだけだ。


この痛みと恨みを晴らさでおくべきか!と、「自然」恨みつらみをどうはらしてやろうかを探した結果、久方ぶりのnote更新という結果に至ったわけだけど、せっかくなので最後に教訓めいたことを書き記しておこう。


健康とはいつかくる痛みに備えること(だと勝手に思っている)。痛みは「伝えられる」が「伝わらない」。というか伝わったら逆に怖い。他人の痛みを感じ取れる超能力みたいな漫画もありはするけど、現実世界でそんなことは起こり得ない。


痛みの程度は人それぞれ。備えは十分であったとしても、痛みがひどければ備えた防壁は一瞬で瓦解する。なので、痛みを抱える人、備える人に対して「そんだけ備えても無意味だ」「備え得たにも関わらずその体たらく?」などと思っても口にしてはダメである。


痛みとの戦いは孤独である。医者に診断はされ薬を処方されようとも、彼らは共感を示してくれるわけではないし、最終的には1人で向き合う鹿内。そんな孤軍奮闘している戦士を後ろから撃つなんてことは絶対にやめてほしい。むしろサポートし、励ましの言葉を送る、大切なパートナーならそっと寄り添い背中をさすってあげる。ただそれだけで良い。


痛みとの戦いは孤独だが、彼らはいずれ過ぎ去る。それが健康な状態に戻ることなのか、死と共に過ぎ去るのかは人によるけれども、それでもなお痛みと戦った人たちを支援し、敬意を表し、労う文化はもうちょっと定着していいのかもしれないと思う。


僕の場合生物学上男だから、頭痛だけで済んでるけど、女性は月に一回この手の不調がやってくる人もいる。彼女らは常に痛みや不調と戦っている(人もいる)。血は不潔で忌み嫌うべきものであると言った旧世代の文化風習が今でも残る地域があると聞くし、いまだに日本でも労わる発言どころか責め散らかすおじさんがいると友人たちから聞くけれども、そいういうのいい加減やめにしないか。女性だから云々、女性活躍とか云々とかではなく、1人の人間として痛みと闘う人への敬意とサポートが充実する社会になってほしいと心の底から思う。


とまぁ、自らの信心を垂れ流したところで本文終了。本日の神奈川の天気は曇りのち雨。低気圧による眩暈と吐き気に加えて発熱と腹痛で死にかけてるので、数日はゆっくり休みます。どうやら胃腸炎を伴う風が増えてるようです。みなさん、良い一日を。