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ぞなもし創作ノート その1 ひとつの物語に物語はふたつ要るぞなもし

創作に関するちょっとした備忘録としてに書こうと思う。

ひとつの物語を作ってくださいと言った時に、大体の人はひとつの話をうーん、うーんと言って考える。当たり前の話だ。

実はこれは大きな間違い。
本当はふたつ物語が必要なのである。
「あんた、ひとつ言うたやないか。今さっき、わてにひとつって言うたやないか!」
と怒る気持ちに対して、説明すると。

例えば、
トマトを買ってきてと言われて、アキラくんはスーパーにトマトを買いに行きました。買って帰ってきました。終わり。
これは物語になっているか? なっていません。
「そないなもん、わてかて分かりますわ。なんも起こってまへんやん。そら物語ちゃいますで!」
その通りである。何も起こってないから物語になってない。
ではどうすればいいか。
「そら、あれでっしゃろ 買いに行ったけど、スーパーまでに怖い犬がおったらどないですか? 子供が勇気振り絞る感じで、ええ成長物語になりますやろ」
悪くない判断である。物語は発端・葛藤・クライマックスで分けられる。
それらがちゃんと揃っているように思う。

発端
アキラくんはトマトを買いに行きました

葛藤
途中の金田さん家の犬の前を通るのが怖かったです。

クライマックス
アキラくんは勇気を出して、その前を通り過ぎ、スーパーに行き、トマトを買いました。アキラくんはひとつ成長したのでした。おしまい。

「どないでっか?」
答えはNO これで物語になっていると思うことが一番の大問題。何より面白くない、と私は答えるでしょう。なぜか。

実は上の物語はおおよそ物語のように見えるが、物語としてはいまいちである。物語らしさが足りない。人が困難にぶつかり、それを乗り越え、成長するという物語のテンプレにははまっているが、物語らしさを点数として評価したら10点くらいである。人様に見せられるようになるには50点くらいは取りたい。
足りない分はどうするのか。この物語をそのまま創作するなら、小説なりシナリオなりの本文のところで取り戻すしかないだろう。
上のアキラくんの話も太宰治が書くと何か面白いものになるかもしれない。
が、そこで物語の面白さのほとんどを補っているのは太宰治と言う個人の力量である。
それで面白くなるならいいのだが、世の中のほとんどの人は太宰治ほど筆力はない。作家的視点もない。そもそもほとんどの人が太宰治みたいだったら嫌だ。世の中が成り立たない。
なので、最初の段階で、ちゃんと物語「らしさ」を加点しておきましょう。となるのである。
それが俗にいうプロットという作業である。

アキラくんの最初の話も2個目の話もプロットとして点が低い。それはつまり物語らしさが足りないということである。
では冒頭の話の、「ひとつの物語を考えるのにふたつの物語が必要である」をアキラくんの話に適用してみる。

最初に、聞き手の関西の輩さんが犬を配置したのは悪くない。障害がなければ、物語にならないからである。同様に、今度はドラキュラを配置したい。
1:アキラくんはスーパーにトマトを買いに行きました(アキラくんはトマトが買いたい)。
2:ドラキュラの鉄雄はスーパーにトマトを買いに行きました(ドラキュラはトマトが買いたい)。

「ふざけてますん? なんでドラキュラですねん」
と思うかもしれないが、ドラキュラなのは理由がある。けど、それはまた別の機会。
次にこの話を繋げるためには何かかを企てなければいけない。
トマトが普通に売っていたら、アキラくんとドラキュラはレジに並んで普通に買ってしまう。
それでは物語らしさのひとつである困難との衝突が達成できない。
なら、トマトが最後の1個にしてしまおう。そうするとどうなるか。
「どうなるもこうなるも、そらふたりがひとつのトマトの取り合いしますな」
そう。そうすることで、困難が生まれ、葛藤が生まれる下地ができた。

「ちょい待ち。ドラキュラと金田さん家の犬とでどう違うんでっか? あてには変わらんように思えますわ」
そう言われたら私は拳を握りしめて猿のようにその人を睨みつけるしかない。
ということはない。ここまでは一緒だからだ。
このあとが重要な作業になる。

ふたつの話の「最後の1個のトマト」という収束点では、アキラくんのトマトを買って帰りたいという願望は達成できない。
同時にドラキュラの鉄雄もトマトを買って帰るという願望は達成できない。
つまり買って帰るという物語のラインは崩れた。
そこの地点に別の物語をぶっ込むのである。
例えば、ふたりはトマトをきっかけにして、知り合い、アキラくんは鉄雄がトマトばかり食べているのは、血を飲まなくなったからであるという事実の触れて、現代社会に生きるドラキュラの苦悩を知るみたいな方向に行ってもいいし、最後のトマトをきっかけに、スーパーの店長が若い女性店員にスポイルをしているのをふたりが知り、その女性を救うという流れに行ってもいい。
ここで重要なのはトマトのことは一旦忘れるということである。
一旦忘れ、別の話を始めることで、グッと物語らしさが増す。プロットの点数が増えるのだ。
「トマトはどないしますんや。わて、気になりますわ」
という人も多いし、それを解消しなければ、トマトを買いに行くという発端を作った意味がなくなるので、別の話の終わりにはトマトを買うという流れをどうにか解決しなければいけない。
この辺りは、実は大した問題では無かったりする。最初の血を吸わないドラキュラ編ならアキラくんが鉄雄にトマトを譲ってあげるとかで解決するし、もう一方のドラキュラ共闘編なら女性店員がこっそりとトマトをもうひとつ出してくれたとか。
個人的にはここらへんは「爽やか」であれば、なんでもいいと思っている(他の変なパターンや邪悪なパターンもいっぱいあるがとりあえず「爽やか」なパターンを基本としておいた方がいい。世の中的にも)。

つまり、まとめると。

Aという物語を進めていき、その物語が進行不能(あえて放置するパターンもある)になった時にBという物語を始める。そして最終的にAという物語が予定していた結末(に近いものA’)に到達する。

これが物語らしさの点が高いとされるプロットの形である。
あくまで基本の形である。変化形は多い。
それとAの物語が進行不能になるポイントが物語の真ん中だととても良い。

と、これは物語はふたつ必要ということを説明するために、色々端折っている部分が多いので、他にも様々なことを考える必要がある。
が、ここが出来ていない場合が多いので、創作する人とかは自分の創作物が真ん中で物語が変わっているかどうかを気にしてみると良いと思う。ぞなもし。

ちなみに犬の場合でも同じように物語らしさのあるプロットを作ることはできる。今回それをしなかったのは、いずれ書くかもしれないテーマのためにドラキュラを選択しただけです。

ここまで読んだんだから、スキくらいしてくれてもいいじゃない。

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