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私を襲った韓国独立映画界の盗用事件

■私を襲った韓国独立映画界の盗用事件(前説)

 ヤン ヨンヒです。

 1996年、私が撮影しNHK大阪が制作したドキュメンタリー番組<揺れる心>(30分)が、NHK教育テレビ(現・Eテレ)で全国放送されました。
 私が個人企画で撮影をしたのですが、ポスプロ【※post-production=撮影後の一連の作業】からNHK大阪が入り編集した作品です。著作権については、放送&再放送に関してNHKと私が合意しました。撮影に関して制作費をNHKからもらっていないので、「見せる」ことに関しては私の自由にしていいと合意していました。もし30分の作品を使いたいといった場合があれば、その時に私とNHKが改めて話そうという約束でしたが、(見る、以外のことで)番組を使うなんてあり得ないだろうと話していました。

 1998年、韓国のホン・ヒョンスク監督が<本名宣言>(68分)というドキュメンタリー映画を発表し、この年の釜山(プサン)国際映画祭で「ウンパ賞」(最優秀韓国ドキュメンタリー映画賞)を受賞しました。

 信じがたいことに、ホン・ヒョンスク監督は<本名宣言>の中で、<揺れる心>(30分)の本篇映像から6分40秒+素材映像から2分43秒+本篇と素材から声だけを17秒=トータル9分40秒の無断使用、すなわち盗用しました。私はそんなことを許可していませんし、ホン・ヒョンスク監督からも許諾の連絡は一切ありません。明確な盗用・剽窃(ひょうせつ)です。

卒業式

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【※左=ヤン ヨンヒ「揺れる心」、右=ホン・ヒョンスク「本名宣言」
 ヤン撮影の映像を、ホンが自分の映画に盗用していることがわかります。
  白黒に画像処理すればいいとでも思ったのでしょうか。。】
【※※なお、このキャプチャー写真の転載はお控えくださいませ】

 2020年1月、22年前に起きたこの事件について、韓国の映画雑誌「シネ21」に私の寄稿が掲載されました。2020年2月には、ソウルで<揺れる心>と<本名宣言>の比較上映会を初めて開催しました。22年前に行われるべきだった比較上映がやっと実現したのです。
 韓国の映画関係者やメディア人が驚き、多くの記事が出て、この盗作・剽窃問題が改めて議論されることになりました。。。そして2020年12月31日、韓国のネットメディア「PRESSIAN」(プレシアン)に私が寄稿しました。

 ドキュメンタリー映画の監督が、他人が撮影した映像素材を盗用する。この前代未聞の醜聞について、皆さんと情報を共有したいと思います。
 日本語訳までする理由は、ホン・ヒョンスクをはじめ組織的隠蔽に尽力した人たちが、情報不足によって日本の映画祭の審査員をしたり講演をしたりする可能性も大きいと考えるからです。暴力的な隠蔽に率先して関わった人たちが、韓国のドキュメンタリー映画界の要職についていると聞き驚いています。「全ては<本名宣言>事件から始まった」と多くの人に聞かされゾーッとしました。「韓国独立映画界の名誉を守った」と「彼ら」は尊敬され(させ?)、要職についたそうです。今もかな? 知らんけど。

■前説の補足

【※注1】ホン・ヒョンスク監督は2019年まで、韓国の「DMZドキュメンタリー映画祭」委員長を務め、韓国映画教育のエリート校(国立大学)と言われる韓国芸術総合学校で教えていました。
 2019年に彼女の監督作<境界都市2>の助成金流用問題を当時のスタッフに告発され、その後「DMZドキュメンタリー映画祭」委員長を辞任、続いて<本名宣言>盗作・剽窃問題が再浮上し(直接関係あるかは知りませんが)、その後に韓国芸術総合学校の教授候補からも外れたと言われています。「山形国際ドキュメンタリー映画祭2019」ではコンペティション部門の審査委員をつとめました。

【※注2】下記の「PRESSIAN」に掲載された私の寄稿ですが、韓国映画界で頻繁に使われる言葉が多く少し面倒かもです。難しい言葉ではないのですが。
 日本には「日本映画監督協会」(DGJ=Directors Guild Japan)がありまして、劇映画かドキュメンタリー映画かを問わず、加入している監督と加入しない監督がいます。が、韓国は監督が所属する団体だけでもいくつもあります。
 日本ではあえて区切り過ぎない部分でも、韓国では「独立映画(監督)」「商業映画(監督)」など、普段の会話でもカテゴライズする場合が多いです。(→私も慣れられない。)
 なので、簡単に、韓国の映画界の、特に監督たちが所属する組織について説明します。本当にサクッと、ですが。

 まず、最近私たちが見る韓国の劇映画の多くの監督たちは、「韓国映画監督組合」(DGK=Directors Guild Korea)に加入しています。
 パク・チャヌク監督が初代代表で、数年前はポン・ジュノ監督も代表をつとめました。業界のいろいろな改革にも積極的で、韓国映画界を牽引していると言えると思います。DGKの加入条件として、劇場公開の有無などを問う理事会の審査があります。DGKも半分くらいは独立映画の監督たちです。

 それとは別に、ドキュメンタリー監督を中心とした団体として「韓国独立映画協会」(韓独協)があります。
 ホン・ヒョンスク監督は「韓独協」創立からの中心メンバーです。

 その他「韓国映画監督協会」「韓国独立映画協議会」もあります。
 
 めちゃ大雑把な前説でした。 

   *   *   *   *   * 

 それでは韓国のオンライン新聞「PRESSIAN」に掲載された私の寄稿(韓国語の原文)を日本語訳したものを、以下に掲載します。昨年1年間、様々なブッ飛び事実を受け止めての私の想いを率直に書きました。
 ご一読ください。(2021.1.6 ヤン ヨンヒ)

【寄稿】<本名宣言>事件について

初出=韓国のオンライン新聞「PRESSIAN」(2020年12月31日)
 https://www.pressian.com/pages/articles/2020123112482972786
 ※「PRESSIAN」の読者は100万人と言われている】

 2020年1月、韓国の映画雑誌「シネ21」に私の寄稿文が掲載されました。

 2020年2月に<揺れる心>(30分、1996年 NHK大阪・ヤン ヨンヒ)と<本名宣言>(68分、1998年 ホン・ヒョンスク監督・ソウル映像集団 制作)の初めての比較上映会がソウルで実現し、多くの映画及びメディア関係者が参加して下さいました。4月、私が釜山国際映画祭に対し<本名宣言>のウンパ賞受賞撤回要請書を提出し、特別諮問委員会が構成され再審議が行われました。
 その間、現ソウル映像集団のコン・ミヨン監督(<本名宣言>編集担当)、韓国独立映画協議会のナン・ヒソプ代表が私への謝罪文を発表しました。また海外の映画研究者から<本名宣言>問題に関する資料が届き、国内外から様々な情報提供がありました。問題が封印された22年前の状況とは一変し、組織的隠蔽という言葉まで聞かされるなど様々な事実を知らされました。

■1. 釜山国際映画祭がfacebookに発表した声明文(2020.7.25)を読んで

 2020年7月、再審議を踏まえて発表された釜山国際映画祭の声明文を読み、失望を越えて笑ってしまいました。要約すると「<本名宣言>には問題がある、しかし法律上ウンパ賞は取り消せない、ヤン ヨンヒ監督には謝罪する、でもホン・ヒョンスク監督にも謝罪したい」という内容でした。悪い冗談だと思いました、加害者に謝るという発想はどこから出てくるのでしょうか。映画についての再審議です。映画だけを見るべきです。

 1998年当時の<本名宣言>問題に対する釜山国際映画祭(ウンパ賞審査委員会を含む)の対処は、国際映画祭を名乗る資格がないほど酷いものでした。あれから22年が経った今年、釜山国際映画祭は再び試されたわけです。発表された声明文は、釜山国際映画祭には著作権問題と向き合う知性と危機管理能力がないことを露呈させました。過去の失敗を改め再出発するチャンスを放棄し、本当に守るべき大事なものを捨てたように思えます。

 もし、1998年の釜山国際映画祭とウンパ賞審査委員会ほか関係者たちがマトモな判断をしていたなら、その後の22年間は、韓国での著作権問題について議論と学習を深める有意義な時間になったはずです。実際はどんな22年だったのか。真摯に振り返るのは私の仕事ではありません。

 私は、初監督作品<ディア・ピョンヤン>(2005年)完成までの10年間、(父の故郷である)韓国を代表する釜山国際映画祭を目標にしました。その後も私の全ての作品が招待されたことを誇りに思ってきました。祖国も母国も定かでない私は、釜山国際映画祭を大切な居場所のように思ってきました。信頼してきた映画祭を批判するのは心痛く、事件を知らない若い映画祭スタッフには申し訳なくもあります。しかし、誤魔化しなく率直に向き合うことが、私が信じる釜山国際映画祭に対する、私の誠意であり愛情であると信じます。

 映画祭の声明文がfacebookにだけ掲載され、公式ホームページに載らないのは、ヤン ヨンヒはそれに値する監督とは認められないので頑張れという、映画祭からの苦い激励だと受け止めました。

■2. 韓国独立映画協会(以下「韓独協」)の立場表明文を読み

 釜山国際映画祭の声明文にも似たような記述がありましたが、私の映像を<本名宣言>に使うという如何なる論議も協議もありませんでした。印象操作のような言葉は誤解を招きますので控えて下さい。

「韓独協が… <本名宣言>の問題に対して傍観者的な立場で取り組んできました」という文章には異議があります。韓独協は傍観者ではなく、二次的加害者です。

 文学・芸術団体では、所属する作家(監督)の盗用・剽窃が明らかになった場合、除名するのが国際的な常識です。にもかかわらず当時の韓独協は、国際映画祭を舞台に“同僚”たちとメディアを総動員し、暴力的な隠蔽を敢行しました。韓独協は1998年9月に結成されました。組織が行った最初の仕事が盗用・剽窃事件に対する組織的隠蔽だったということですか?

 韓独協は、<本名宣言>に盗用・剽窃の疑いがあると報道した中央日報に対し、韓国独立映画運動に対する弾圧だと言い掛かりをつけ、問題の論点をすり替え、過剰に攻撃しました。中央日報にも公式的に謝罪すべきです。著作権問題に“陣営”は関係ありません。

 愚かな先輩たちの尻拭いを課せられた韓独協中央運営委員会には同情しますが、組織の自浄能力を示すためにも勇気をもって問題を直視して下さい。

■3. 1998年-2020年

 1998年当時、<本名宣言>を見た私はNHK担当者に状況を説明しました。盗用疑惑があると報じた中央日報と被害者である私が糾弾されていてワケがわからないと言う私に担当者は「9分以上? 90秒や9秒でもビックリするけど、本当に9分ですか?……あり得ない。頭の悪い学生でもそんなことはしないはず。本当だとするなら、あまりの次元の低さに関わりたくないのが正直な気持ちです。ヤンさんもそんなオカシイ人たちには近づかないほうがいい、ヤンさんまで病みますよ」と言いました。ホン・ヒョンスクを常識ある監督だと信じてテープを渡した自分にも責任があると私は謝りました。

<揺れる心>の最後には「制作・著作NHK大阪」と大きく出ます。「ヤン ヨンヒと合意した」と繰り返すホン・ヒョンスク監督に「NHKの許可はどうなんだ?」と聞けば著作権侵害かどうかの判断に時間はかかりません。両作品を見る時間も含め3時間もあれば充分できる判断に、22年もかかってしまったわけです。

 今年2020年になり、いろいろな事実が判明しました。

 98年当時、釜山国際映画祭関係者と韓独協の中心人物が独立映画界に箝口令(かんこうれい)を敷き<本名宣言>問題について一切触れるなと命令したと知り驚いています。宣誓の署名を強要したと聞いていますが本当ですか。関わった殆どの人は韓国社会で「進歩派」を自称する映画人です。

 98年当時ホン・ヒョンスク監督が私に投げつけた言葉「ヨンヒ、貴方も将来は韓国で仕事をするようになるかも知れないのだから、私とは良好な関係を保っておいたほうがいいはず」の意味も今年になってやっと判りました。さぞ心強いブレーンだったのでしょう。NYのアパートで私と一緒にそのFAXを見た韓国人の友人も驚いていました。

■4.なぜテープを渡したか。

 ホン・ヒョンスク監督は、在日についての作品をつくる予定なので、リサーチとして<揺れる心>の舞台になった尼崎高校の藤原先生に会いたいと言いました。リサーチの下準備として私が通訳をしながら手伝ったのは1〜2日間です。「リサーチに何年かけるんですか。どんなイシューを選び、どんな人を主人公にするのか楽しみです」と言った私を見ながら、ホン・ヒョンスク監督は笑みを浮かべていました。

 私は報道番組のためにタイやバングラデシュに数ヶ月滞在し通訳を介しながら取材した経験があったので、日本語も話さず日本で暮らしたこともないホン・ヒョンスク監督が在日についての長編ドキュメンタリーを撮るのは相当大変だろうと想像できました。ホン監督は日本に引っ越して腰を据えて在日を撮ろうと考えているんだろうか、とまで思ったほどです。日本で私が親しくしていた先輩ドキュメンタリストはそういう監督たちでした。

 在日問題を知るための参考として<揺れる心>の素材テープを見たい、送って貰えないかと何度も連絡が来ました。断っても連絡がくるので、悩んだ挙げ句、NY行きを控えた私が最後にできる協力として「見ること」だけを許可し、送ることにしました。ホン監督を信じて大事な素材テープを送るので「見るだけ」でも気をつけて欲しいと強調しました。日本で放送された<揺れる心>の本編に“手をつける”などは想像もしませんでした。万が一、街の風景や看板など、40本の素材テープから1秒でも使うときには事前に仮編集を私に見せながら相談し合意することと約束しました。ホン・ヒョンスク監督は「タングニジ!(当然だよ)」と笑顔で言いました。「タンヨナジ(当然だよ)」という意味で「タングニジ」という言葉を使うと初めて知りました。新しい韓国語を知った瞬間として鮮明に覚えています。

 当然のことですが、私はホン・ヒョンスク監督が独創的な作品をつくると信じていました。当時、国籍の問題で私は韓国に入国できませんでした。自分が行けない韓国で、在日問題に対する理解が少しでも広がればという願いを込めてテープを送りました。

 私を騙しNHKの番組映像を盗用した大胆さには今も恐怖さえ感じます。「剽窃企画の構成案に沿って“必要な絵”を求め、たった2〜3週間日本で撮影したものの映像のインパクトが足りなかった。で、著作権も肖像権も無視してNHKの番組映像を盗用し長編ドキュメンタリー映画をつくった」。これが<本名宣言>の正体です。2週間の撮影に通訳として同行した方もホン監督の撮影方法に呆れたと証言しています。

<揺れる心>の主人公に対する肖像権の侵害は深刻な問題です。韓国名と日本名の間で揺れながらアイデンティティについて悩む在日コリアンの高校生たちを描いた作品を安易に盗用しました。ホン・ヒョンスク監督は、彼らを真摯に撮影(取材)することもなく、苦悩する未成年者たちを感動ポルノの素材として消費したに過ぎません。被写体になった「彼ら」には心から申し訳なく、今も私はその罪悪感から逃れられません。2つの名前の間で悩みながら生きるのがどれほど苦しいことか、在日である私が一番よく知っているからです。

「ヤン ヨンヒとは合意があった」と繰り返すホン・ヒョンスク監督の真意は解りません。著作権に対する無知なのか、嘘をつくことが日常なのか。でも証人がいます。<本名宣言>を編集したソウル映像集団のコン・ミヨン監督は当時を振り返りながら「ホン・ヒョンスク監督が、<揺れる心>のキム・ソンミさんのカミングアウトのシーンを見ながらヤン ヨンヒが送ってきたテープを『NHKの番組そのまま』に編集して<本名宣言>に挿入するように指示しました」と証言しています。

   *   *   *   *   * 

 1999年2月、別件でNYに来たという、現・釜山国際映画祭イ・ヨングァン理事長とマンハッタンで会ったときも、2000年以降日本と韓国の映画祭で私に声をかけた<本名宣言>企画者であるカン・ソクピル氏(ホン・ヒョンスク監督の夫でもある)にも、私は「<本名宣言>問題は終わってもなく、ホン・ヒョンスク監督が直接連絡してくるのを待っている」と伝えて来ました。「ホン監督と食事でもして仲直りすれば」と笑いながら私に言う彼らは、事の深刻さを判っていないようでした。全く話が通じないと痛感する私は途方にくれるばかりでした。

 2003年、YIDFF(山形国際ドキュメンタリー映画祭)審査員として来日したキム・ドンウォン監督(98年当時「韓国独立映画協会」代表)は、宴会で自己紹介をした私の名前を聞いて「ヤン ヨンヒ?……どこかで聞いた名前なんだが……ヤン…ヨンヒ…ヤン…ヨンヒ……」と呟きました。私が「98年の<本名宣言>問題で韓国のメディアに名前が出ましたから、それで私の名前をご覧になったのかも知れません。今も解決していない問題ですが」と言うとハッとした表情で「ああ、、ああ、、よく知らないけど記事は見たような……」と言葉を濁しました。とても複雑な表情だったのでよく覚えています。
「送還日記」の字幕作業を手伝ってもいた私は、カラオケで歌うキム・ドンウォン監督に声援を送りタンバリンを叩きました。キム・ドンウォン監督が<本名宣言>事件を組織的に隠蔽するために箝口令を敷いた中心人物だったと今年2020年になって初めて知りました。

■5. 今できること、すべきこと 

 ホン・ヒョンスク監督は当然ウンパ賞を返納すべきです。他の年のウンパ賞(現・メセナ賞)受賞者の方々に対する侮辱に繋がるからです。米国アカデミー会員の資格も合わせて返納するならば、一抹の常識と良心の欠片くらいは示せるかも知れません。また、釜山国際映画祭も、剽窃作品に対する賞の授与を取り消すべきだと考えます。

<本名宣言>事件をとりまく現状を注視しているのは韓国の映画人だけではありません。<本名宣言>盗用・剽窃問題は既に海外の大学院で論文となり発表されています。また、釜山国際映画祭と韓国独立映画協会の“特殊な”関係は海外で出版されている書籍に詳細に記述されています。韓国内の大学、大学院でも積極的に研究発表されればと思います。文化人類学的な研究に対して、未だ「陣営病」を患っている教授たちが学生たちの邪魔をしないことを祈ります。

 沈黙も記録されます。

 私たちの言葉と行動の全てが記録され、歴史になっていくのだと思います。 

 2020.12.31

 ヤン ヨンヒ 

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