【映像業界・パワハラ・セクハラ・労働搾取】怒りを発信できる僕たちは恵まれている―あきらめるしかなかった人たちを忘れるな

この記事は、想田和弘監督がTwitterでつぶやいた「怒り」に関する意見への反論となります。

もちろん、この意見は内田さんに無作法な絡み方をしてくるネットユーザーへの批判として発表されたものです。しかし、2022年に入って映画界では、数々のハラスメントや労働問題が告発され、大きなムーブメントになっています。これを「#MeTooJapnan」と呼ぶ人たちもいます。

また、2020年ごろから相次いで、アップリンクやユジク阿佐ヶ谷などのミニシアターの労働問題も告発されてきました。かくいう私も昨年9月から、元職場の立誠シネマ(現出町座)の労働問題を被害者の立場から告発し続けています。

これらのムーブメントはすでに成果を見せ始めており、加害者側の映画人、演劇人たちは実名で明らかにされています。内容が不透明な俳優ワークショップはハラスメント抑止のためのステイトメントを発表するようになり、文化に関わりたい人々にとって、働きやすい環境が整い始めました。まだまだ完全な改善には程遠いものの、長い目で見たとき、2022年は映像業界や演劇界が変わり始めたきっかけの年になると思います。

そして、これらの運動を支えたのは、告発者たちの「怒り」でした。自分たちが受けた被害に対しての怒り、それが封殺されてきたことへの怒り、似たような被害を量産し続けるシステム、風習への怒り。怒りがなければ加害者たちは大手を振って業界を渡り歩き、新たな被害者を生み出していたでしょう。

それなのに、映画業界でそれなりの評価もされてきた想田監督が、怒りを「暴走します」「ドラッグ」と形容し、否定的に発信したことには強い違和感を覚えます。

もっというなら、怒りを発信できるだけ、我々は恵まれているとさえ感じます。

僕の友人には映画界でひどいハラスメント、搾取に遭った人がたくさんいます。しかし、彼ら、彼女らはさまざまな理由で、告発をしない道を選びました。

業界に居続けるために、面倒くさい人間と思われたくないから。

すでに精神が疲弊し、怒る気力さえ失ったから。

世間の好奇の目にさらされたくないから。

事実として、「業界でやっていきたいなら、黙って理不尽を受け入れろ。決して怒りを表明するな」という連中はたくさんいます。僕も言われたことはあります。

なぜそんな言葉を人にかけられるのかというと、成功体験があるでしょう。その人はその方法で、ある程度の地位を確立できたのだと思います。

しかし、僕は加害者たちに媚びてまで、映画業界で成功したいとはどうしても思えません。そして、そのような方法を人に押し付ける奴らも積極的に軽蔑します。マジでダセえわ。お前のやってる表現、全部フェイクだわ。

何を言いたいのかというと、怒ることすらできず業界を去るしかなくなった人たち、成功のために怒ることを止めた人たちは、あちこちにいるのです。

怒りがドラッグだというなら、怒ることすらできなくなった彼らや彼女らは何なのでしょうか。想田監督の理論なら、

とでも言うのでしょうか。僕は怒れなくなった人たちが慈愛の心を持っているとは思いません。彼らや彼女らは、自分の意思とは関係なく、いろいろなことをあきらめなくてはならなかっただけです。

こうした被害者の気持ちを、普通に過ごしている人たちは理解などできないでしょう。よく聞く「あの事件の加害者は私にはいい人だった」みたいな言葉も、発言者は本気なのだと思います。

僕はミニシアター時代、休みもなく月5万円で働かされ、日常的に「映画愛がないから文句を言う」と聞かされ続けました。最近、出町座の窓口に電話をして(なぜなら5月末で窓口が閉鎖すると聞いたので、最後に疑問を全部質問したかったからです)、担当者から僕の言葉を「不満」と形容されました。

あなたは今いくらで働いているんですか。

ガソリン代も駐車場代もほとんど払ってもらえず、車を何度も使われたことがありますか。

忘年会の日に自腹で交通費を払って、映画の前売り券を手売りさせられたことがありますか。

これらの待遇に抗議することが「不満」なのか、僕には判断がつきません。ひとつ言えるのは、あの担当者には僕の怒りなど共有できないし、何を言っても無駄だったということです。

加害者に対して、心の底から怒れるのは被害者だけです。まずは本物の怒りがなければ、第三者は共感などしてくれません。そして、少しでも怒りを理解し、拡散してくれる人が増えていけば、変革の時が訪れます。

怒っている我々の後ろには、怒りたくても怒れない人々がもっと存在しているのです。彼らや彼女らを「慈愛」だとか「冷静」だとかいって、正しい大人のように決めつけるのは間違っています。怒りたくても怒れないまま、フェイドアウトするしかなかった人たちはたくさんいるのです。

我々の怒りを「暴走」というならどうぞ。でも、もう2022年なのだから、想田監督も少しはラップを聴くべきだと思います。僕に言えるのはそれだけです。

システムは僕らを殺し守ってはくれない

世界中どこでも

リスペクトを得るためだけにストリートへと繰り出すんだ

彼らにも「怒りは暴走する」「怒りはドラッグだ」と言ってあげてください。僕ならそれを「暴走」ではなく「共鳴」と呼びますが。

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