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娘が泊まりに来た日

何を隠そう私は現在単身赴任中の身で、家族は普段大阪に暮らしており、毎週末に東京⇒大阪に帰る日々である。

つい先日、週末に中3の娘がLINEで私の単身赴任先に泊めて欲しいと言ってきた。何でも大好きな韓流アイドルのコンサートが東京ドームで開催されるらしい。
 
皆桑田の息子みたいに、揃って白粉(おしろい)を塗りたくったような顔の何がいいのか私には全く理解できないが、激烈な倍率を複数アカウントで応募しまくってゲットし、毎日の皿洗いを買って出て母公認を取り付けた娘は、来る数か月前から超ハイテンションで爛漫感極まる感じで、おいそれと断れる雰囲気ではない。
 
私はココで一つの問題にぶち当たる。そう、「親としてどんな単身赴任感を演出するべきか?」である。14歳にして一人で上京し、単身赴任中の父を訪ね、推しのコンサートに行ったなんていう一大イベントは、そのインパクトから類推するに、永久保存対象で、全てが間違いなく一生記憶に刻まれるだろう。特にちょっと憧れがありながら、一人暮らしの部屋を見た事がない彼女にとって、私の部屋の情景は、深く深くハードディスクにメモリーされるに違いない。

振り返って考えてみても、私自身大学生になって、初めてお邪魔した女性の先輩の部屋がロフトだった事から(特に恋仲ではない)、「やる気になったら二人で梯子上がるのは恥ずくないですか?」と聞いて怒られた事を今でも鮮明に覚えている事を鑑みても、中3で見た父親の一人暮らしの部屋は、今後の彼女の人生に多大な影響を与えるに違いない。
 
資本主義に精神までスポイルされて労働者然とした殺風景な部屋にして世の中の厳しさを教えるべきか?それともそれなりのアーバンライフを颯爽と生きるビジネスマンとして、憧憬の念を強める路線でいくべきか?前者なら機械油で黒ずんだ作業着を部屋にかけておく必要があるし、後者の路線でいくなら、やはり無印良品でデヒューザ―を買いに行き、PCのモニターを3台ぐらい繋いでおく必要がある。そういえば昔、海外に単身赴任している先達の大先輩方から教えで、家族が来る前は、掃除機の中の紙パックと、風呂場の排水溝と、枕カバーの中が要注意と言い伝えられていた事を思い出したが、その辺も抜かりなく掃除しなければ。
 
そんな事に思いを巡らせながら、部屋の大清掃をしている時に、ハタと自分が中3の時の父親の姿が全く記憶にない事に気づいた。特段反抗期もなかったので、会話もそれなりにあったはずだが、どの記憶の断片を辿っても、父親とどんな会話をしたか、どんな感情を抱いていたか、すっぽりと抜け落ちて全く思い出せないのである。
 
思えば中3といえば、フィジカルには精々自転車で動き回る半径5キロの世界で、小学生の時と大差なかったが、精神的には、大人の読む本を読めるようになり、深夜ラジオを聞き始め、ビックバン的に一気に自分の世界が広がり、それが楽しくて仕方がなかった頃だ。翻って、それと反比例するように、圧倒的だった親の存在感は自分の意識の片隅に追いやられ、親から与えられた世界から、自分が主役の世界に変移していく。15歳と言えばその境界線に居た頃合いだろうか。
 
そこまで思い出して、記憶のシナプスが繋がり、20歳のとき、一人旅をして、台湾にいる父親に会いに行った事を唐突に記憶がよみがえった。当時中国に留学していた私は、その1年の留学期間の終了後の夏休みに、留学地の上海から、広州⇒深セン⇒香港と陸路で南下して、最後に台湾に長期出張していた親父に会いに行った。
 
その時も、台湾料理が留学生の貧乏飯と違って馬鹿みたいに旨かった印象は鮮烈に残っているが、1年ぶりに再会した父親とどんな話をして、何で会いに行くことになったかも例の如く全く思い出せない。が、事実だけ丹念に追いかけて、指折り計算してみると、驚いたことに、あの時の父親の年齢は、今の私の年齢と幾つもかわらないではないか!
 
20余年前にも、当時の父親も私と全く同じ役回りで、爛漫な馬鹿息子を出迎えていたのである。
 
その事に気づいた瞬間に、電気に打たれたように私の記憶に当時現役で自分と等身大の親父が一気に思い起こされる。
親父も、きっと私が到着する前の日には、排水溝を入念に洗って、会社に断って早めに切り上げて、ちょっと面倒くさいと思いながら多少の見栄もあって高級中華料理店に連れて行ってくれたのだろう。当時親父がどんな仕事をしていたかは、今でもよく知らないが、40代で長期出張といったら、大体どれぐらいの重さのミッションを持って派遣され、どんな苦労があるのか、同じサラリーマンとしての同志として、その辛労が今なら手に取るようにわかる。
 
当時の私には見えていなかった親父に、タイムスリップして23年振りに再会したような不思議な感覚である。
 
今だからわかる。私の意識の端の端にいた親には親が主役の人生があり、圧倒的に息子の私が脇役の世界があったんだ。そうか、俺と一緒でこのギリギリ感の中で、息子に悟られずに平気な顔して馬鹿息子を育て上げるなんて、中々やるじゃないか親父。
子を持って初めて分かる親心というが、俺が親父と共有したいのは親心じゃない、子を持つサラリーマンの同志としての互いが主役の人生だ。
 
今の娘には、今日の日の俺は記憶の片隅にも残らないだろうが、それでいい。何時の日か、記憶の封印が解かれ、きっと今日の日の俺に会いに来る日がくる。
 
と、言う訳で、結局部屋を無理にデコレーションした所で、娘の記憶には何も残らないだろうという事で、直球勝負、ありのままの私の部屋に娘を泊める事にして、ライブ終わりの超ハイテンション爛漫馬鹿娘は無事に一泊して大阪に帰り、無事にお泊りイベントを完遂したのだった。
 
そして後日、それでもやっぱりちょっと今現在の私の部屋の印象がどのように刻まれているか気になった私は、家内に「お父さんの部屋どうだった?」と聞いてもらった。返答は、一言、
 
「せまっ!」
 
と言ったらしい。そう、それでいい。

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