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外出自粛に見る日本的習性 (3)ー家制度と統制政治ー

ようやく北海道の感染者数が、全国7位まで下がりました。
横ばいが続いているのは、以前(1)(2)にお話しした通り、道民の自主的な外出自粛によるものでしょうね。北海道の場合、後段で明らかにしますが、他の都府県と異なり、統制政治から出現した規制なだけに、徹底した自主規制が効きやすいのです。

あの時もそうでしたが、結局鈴木知事は体制ができあがってから「緊急事態宣言」を出しました。今回もまた、政府は国民の外出自粛が自主的に行われるようになったのを見計らって「緊急事態宣言」を出す格好になっていますね。

恐らく、この騒動が終わったとき、行政は時宜を見計らった「緊急事態宣言」のおかげで終息に向かったと言い張ることでしょう。鈴木知事のように。そして政治家や評論家がそれを修飾し、物忘れの激しい多くの人は、信じることでしょう。

別に悪口を言いたい訳ではありません。そうではなくて、日本という国の政治風土は、平安時代以来、何も変わっていないということが分かれば十分だということです。

日本が他国に比べて独自の強みを持っているのは、家庭内の役割分担が自分の存在価値であると考える、「家制度」が自然に共有されているからでしょう。つまり、日本人は常に自分が他者に対してどういう立場にいるか、はっきり分からないと不安で身動きがとれない。裏返せば、立場と役割がはっきりすると、その立場と役割を最大限に利用することで自己主張できるという性質を持っている。
また、家庭内の役割分担が地域の役割分担にストレスなくスライドする「家制度」は、地域よりも家庭、家庭よりも個人という意識になりがちな、中国や韓国の「家制度」とは根本的に異なるので、本能的に自主規制していくし、そもそもそれを「自主規制」とは捉えず、「自己主張」だと思っているという稀有な民族性を持っていると考えられます。

今回はこれが奏功して、外出禁止令が出ているニューヨーク並の外出自粛を自主的に行うという結果になりました。ただ、良いことばかりではありません。

そうした立場や役割が人間性を確認する手段となっている社会では、根回しのないトップダウンの指揮系統は、それぞれの立場や役割に対する「干渉」であるとして嫌がられるし、それは個々人の立場や役割、ひいては人間性を否定する行為だとして、怨念すら抱かれる。
なので、日本では恐ろしいくらいに「根回し」が大事になってくるし、「顔を立てる」=「相手の人生を認める」という価値観が生まれます。

したがって政治は何も決められません。平安時代も、鎌倉後期も、室町時代も、江戸時代も、明治時代も、昭和も、武士や軍人が輝いた一瞬の統制時代(武断時代)が築いた、機能の楼閣は、すぐにこうした根回しと談合の海に浚われます。

新井白石や松平定信のような改革者が嫌われるのは、嵐を察知し、先手を打とうとしたからです。彼らは十分に根回しをしたのですが、そもそも日本人は瀕死の危機になるまで「何もしない」=「人を尊重する」ことなので、彼らの気遣いは「干渉」になるという訳です。せいぜい郵政改革や健康増進法―という病理的な法律―のように、見せしめ的にどうでもいい問題でたまにガス抜きすればそれでいい。「政治が良くないね」というのは、暇つぶしの雑談に過ぎないので、本気にしてはいけません。

さて、そうすると、実は外出自粛を粛々と行う国民性というものは、ずっと辿っていくと何も決められない政府にしっかりとつながっているということが分かります。みんなが本気で問題を意識して、満場一致で決まるまで政治家は何もするべきではないし、何かすればあとで責任を負わされて大変なことになる。

政府だけでなく、会社でも、学校でも、未だに事態の全体図と展開予測をして行動指針を決定することができず、泥縄式の対応を連発しているのは、そうした民族性が全面的に発露しているからです。

ただ、こうした民族性によって、日本は今回の問題をなんとなくクリアするのでしょう。そしてまた、それに適当な名前を与えて解決した気分になるのだと思います。

そうした意味で、まぎれもなく安倍晋三という首相は、天命を得ていると僕は思います。

一方で、北海道の場合は秋元市長が辛抱強く根回しして、道民の危機感を刺激する政策を行い、実質的な統制政治によって外出自粛を誘導したために、より強固な効果を発揮しています。秋元市長が上手く「統制政治」を出来たのは、裏方に徹して鈴木知事に名を譲ったからです。ですから、秋元市長の名が後世に残ることはないでしょう。

「ますらをの かなしき命 つみかさね つみかさねつつ 守る島根を」

ではそういう国で不幸にも世界観や意志を美しいと思うように生まれついた我々は、日本には本質的に必要とされていない我々は、どう生きれば良いのか。

僕はこれに対する、全力で生の喜びを享受できる、希望に満ちた対処法に至りましたが、それはまたいつかお話できればと思います。

大場一央 (2020.4.7)

※この記事は記載の日付に大場先生から陽明書院生へ配信されたメールを編集したものです。

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