ハイジのブランコ(祓いと聖別)

アルプスの少女ハイジでオープニングに流れていた曲を憶えているだろうか? そこにハイジがブランコに乗っているシーンが出てくる。祓いと聖別について、養父はハイジのブランコを喩えにして教えてくれた。他の喩えでも教えようとしたようだが、私が興味を持ったのはハイジのブランコでの喩えだったそうだ。

ブランコは前に後ろにと揺れる。振り子時計ならば左へ右へと振れる。そして、また同じ位置へと戻ってくる。難は必ずやってくるのだが、その前に清いものにしておくのが聖別である。清いものには難は振りかからない。ユダヤ教やキリスト教では、聖別しておくことで難から遠ざかっていようとする。

反対に、神道では祓いの手法を採る。難が通り過ぎてから、残ったものについてお祓いをする。掃除のようなものである。祓った後は清らかになる。いずれまた振り子は元の位置に戻って来るが、既に清くしてあるので、次回は小さな難で済むのである。『大難を小難に、小難を無難に』となるのである。

高校生の頃、ある後輩がこの話を始めた。話を聞いていた者たちは、私以外、何を言っているのか分からなかったようだ。私が分かっている素振りをしたものだから、質問は私に投げかけられた。「彼は何を言っているのか?」と。

私は、「ハイジのブランコ」と答えた。その後輩は「ハイジのブランコで教わったのですか?」と爆笑した。他の者たちは、更に顔をゆがめていた。どう考えてもハイジのブランコとは無関係に思える話だったようだ。

後日、このエピソードは養父の耳に入ることになった。「あれは…な、何で説明しても洋子が興味を示さなかったからハイジのブランコで説明することにしたんだ。ハイジのブランコには、洋子は興味をしめした」と言っていた。

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