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廃墟と遺物

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外ノ浦検潮場跡(旧陸地測量部 )忘備録

験潮場(けんちょうじょう)とは潮位を測る場所である。建物の中に、海面の昇降を連続的に記録する験潮儀等を格納している。 設置機関により呼称・名称が以下のように異なっている。 験潮場:国土地理院が設置しているもの 験潮所:海上保安庁が設置しているもの 検潮所:気象庁が設置しているもの   (Wikipediaより) ※参謀本部陸地測量部(明治24年)より験潮場を設置し、本格的に観測を開始したとの事なので以後「験潮場」と記載(呼ぶ)ことにします。 陸地測量部(りくちそ

-戦前の高松定番の観光-屋島登山鉄道(屋島ケーブル)と...

■高松観光戦前昭和資料でみる(定番コースとは) 正確な時期まではわかりませんが、 持っている資料は1934年(昭和9年)のものになります。 この頃の観光コースの定番が屋島と栗林公園“りつりんこうえん”をセットで巡るというものだったようです。 ■屋島登山鉄道(チラシ) 裏面には最初の持ち主で観光したであろう方の文字で<三月二十六日>と書かれています。 路線図とわかりやすい案内図の下には ・屋島登山鉄道株式会社 ・四国水力電気株式会社 ・高松・光栄社 印行 と記載があるのが

『旧劇場・映画館』

【 この映画館について 】 正しい屋号には“〇〇映劇”と言います。 開館(開業) 昭和中期※(1)  閉館(閉業) 昭和後期 ※(1) 資料では昭和38年時には営業中との事が判ってますが 昭和34年公開の映画ポスターもありましたので、その辺りが濃厚(?)かなと思います。 [ 映画館全体 ] 看板建築部には屋号が描かれていた模様ですが・・・ 行く時期が悪かったようで、蔦に覆われておりかろうじて映画館風(?)のシルエットとわかる程度です。 [ 受付・(券)販売窓口 ]

昭和の映画館-映画黄金時代-

【この映画館について】 開館(開業)  1951年(昭和26年) 閉館(閉業)  不明※(どうみても昭和でしょうと疑ってます) 1955年(昭和30年)の資料によると開館当初の情報は 映写機 ミクニ四号(ローラー) 【大・宝・新・映】と書かれていたが 大=大映 宝=東宝 新=新東宝 映=国際映画(?これだけ不明確) 2021年(令和3年)時から見える世界 【映画製作会社のポスター】 大映 東映 パラマウント 東和 ユニヴァーサル 大映第一フィルム 【映画作品のポス

たばこ自動販売機-久保田鉄工時代-

“久保田鉄工株式会社”製の自動販売機 現:株式会社クボタ 国内トップの農機メーカーの「クボタ」の前身の久保田鉄工株式会社”時代の1967年(昭和42年)に製造を開始した【たばこ自動販売機】となります。 1972年(昭和47年)放送のプレイガール(ドラマ)のワンシーンにも映っていたようです。 原形はオーシャンをイメージするような、青色(ブルー)の機器あったんですね! https://twitter.com/kncmc2019 いちぢくさんより頂きました。 元ネタ 軽

夢となった温泉とレジャー-索道駅舎たち-

【この(索道)ロープウェイについて】1975年(昭和50)開業、1981年(昭和56)に休業(閉業?) 温泉街から徒歩数分の山麓駅(営業時は駐車場があったとも)から小高い山中で湖周辺に位置する山頂駅を結んでいました。 延長    1132m 高低差    136m 所要時間   約7分 到着駅標高  520m 1976年、索道(営業中)の空中写真です ■赤色〇内に【山頂駅】 ■黄色〇内に【麓駅】 ■水色線、索道のロープの通っている場所 【1970年代って?!】■経

昭和レジャーの聖地-索道(駅舎)跡と遊園地跡-

【索道編】 昭和3年(1928年)に京都電燈が「〇〇山空中ケーブル」として開業。太平洋戦争の最中の昭和17年(1942年)に(京福に事業継承)一旦廃止というがその後も使用されていないので休線以上廃線未満の状態が続く。現在(も営業が続く索道ルート)とは異なる位置にあった索道(ロープウェー)駅舎と支柱を紹介しようと思います。 現在のルートでの営業が再開されたのは※昭和31年(1956年)第二次世界大戦(太平洋戦争)後の事でした。 (余談と脱線) 昭和31年というのは国内では 売

渓谷に位置する-料理旅館跡-

【〇河亭】 近くに川が流れており、その川の名は此方の地名にもなってます。 縁も所縁もなさそうに思えた“〇河”でしたが意味や願いなどの想いがこめられていたのでは・・・ こちらの木造の美しい建屋を見たら拘りを感じ、そう思えました。 旅館は木造2階建て 客間(?)宴会場(?)含めても5室程度の広さ ●1階 玄関(兼フロント)、ロビーフロア(和洋間風)、和室、浴場、トイレ、調理場 ●2階 和室(宴会場?か客間)、洗面所、トイレ 営業自体の確認は出来ませんが、残留物(公的機関発行)

ミッドセンチュリー空間-保養施設跡-

①【現在(保養所跡として)】昭和47年に閉鎖した隣接県保養所の代替の保養の場として、昭和48年に新築し開館。 ●構造:鉄筋コンクリート造、3階建て ●玄関ホール ●ラウンジ 施設イチの目玉でもあるモダン空間 ジュークボックス フロアはモダンすぎるのに和名タイトルの曲ばかりで凄く渋い! グローリー製の「たばこ自動販売機」 昭和40年代後期のモデルではないか?と(断言できませんが) それっぽいモダンなスタンドライトとの相性も抜群です。 平成期に廃止・廃盤とってしまった

全室オーシャンビュー-温泉リゾートホテル跡地-

かつては有料道路(現在:国道)沿いかつ海沿いに位置する。 今回は写真の数も少ないともあり、ホテル全盛期の頃と対比してみました。 ※業務提携を組んでいた(山の方の)ホテルは令和3年も営業は続いているので注意! 【館内ごあんない】地上4階建て ●収容290名 ●客室 本館26室 新館24棟 ●宴会場 大宴会場2 中宴会場2 小宴会場2 ●浴場 野天風呂 男女各1(本館)大浴場 男女各1(本館) ●ロビー ●会議室(100名) ●バー ●ホール ●ゲームコーナー ●売店 ●25m

観光開発 -高原ホテル跡地-

近隣に存在してた遊園地“マンモスレジャータウン誕生!”(昭和48年の新聞広告より)と関連した施設だったと思います。(遊園地も平成11年に閉業) ホテルは地上4階建、屋上には高所から見下ろす展望台がありました。 プール、スケートリンク、テニスコート?が昔の空中写真では確認できます。 その他BARや食堂、浴場に至ってはさほど大きく衝撃的なものでなかった感想から割愛させて頂きます。 ホテルの内装は結構モダンでした。 大広間 大浴場と家族風呂? 最後に屋外(プールと屋外

大型リゾート構想-ドライブイン(索道駅)跡地-

こちらは大規模なリゾート構想計画(昭和37年)の経緯その後は諸々あるのですが、今回は【ドライブイン・駅舎】についてのみご紹介します。 (自分が記録してる平成14年時資料より) 【建物の種類】停車型店舗 【建物の構造】鉄筋コンクリート造 1階 549.10㎡、2階 524.80㎡、3階 12.69㎡、4階 153.86㎡ 地下1階 90.13㎡ 外観 1階(当時のパンフレットのレストランで見かけたような椅子が・・・) 2階(現役時代は恐らくこのフロアがレストラン) 赤

世界イチ“回転展望塔”のホテル跡

ホテルは5階建て 回転展望塔(タワー)は高さ150m、昇降工程138m、座席収容人数150人、上昇速度45m/分(回転しながら) 昭和63年、バブル景気の後押しもあってか話題性と人気を見込み建設。 当初ドライブインであったこの施設は後にホテルに改装 その際に世界一の高さを誇る(※当時)回転式展望塔(タワー)を備えた。 5階には展望レストランがありグッズなども販売され賑わう様子がパンフレットから伺えた。 華々しい幕開けでしたが今(平成後期に)は・・・ 最後に昭和63年

廃車輌ーSUBARUの前身、富士重工業の“キハ311”ー

“富士重工業”時代(現:SUBARU)宇都宮車輌(工場)の刻印 昭和28年と書かれています。 同和鉱業片上鉄道(岡山県)の車輌で 国鉄の気動車がベースの車で、1991年の廃線まで活躍しました。 同僚車輌には動態保存されているものもあるとの事(※) 簡単な富士重工業の沿革と余談を最後に記述します(読んでね) 富士重工業といえば、現在の「SUBARU(スバル)」ですがその前身は「中島飛行機」です。 (詳しくはWikipediaで“SUBARU”のページを参照ください) 宇都