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もしも私が変われたのなら

「私、すぐ人を好きになっちゃうんだよね」と、自分で言っておいて、「あなたは、すぐ人のことを好きになるよね」と言われたら、何だか腹立たしい。どうしてなんだろう。

 すぐ人を好きになるのは悪いことじゃない。誰かを好きになって、その影響で自分が良い方向に変わるのならば、どんどん人を好きになりたい、そういう気持ちを書いたnoteは、私史上最もスキされた記事になった。

すぐ人を好きになってしまうのは、悪いことじゃないとわかってるし、すぐ好きになるよねって言われても、それがdisじゃないってことはわかる。それでも、なんか嫌だ。なぜ嫌なのか自分でも整理がつかなくて、よく考えてみた。

多分、自分の感情を軽視されているようで嫌な気持ちになるのだと思う。私が人を好きになるのも、嫌いになるのも、ちゃんと理由があって、今までの自分の人生があるからその人のことを好きになっている。だから、好きになるまでの時間とか、好きじゃなくなるまでの時間だけでこの感情を勝手に測られたくはない。それに、私はきっと繊細で、最近よく耳にするようになった「HSP」というやつだと思う。きっと、似た感覚を持っている人には分かってもらえると思うんだけど、人を好きになるとき、相手が発した言葉やとった行動だけじゃなくて、発さなかった言葉やとらなかった行動、間や空気、目線や仕草のすべてを感じて好きになっている。

例えば、元彼に浮気をされた人なら一途な人に惹かれやすいだろうし、自分が人見知りなところにコンプレックスを抱えている人なら、誰にでも明るく振る舞うことができる人のことを凄いなあと思って惹かれるだろう。誰もが、自分にないものを持っている人や、自分一人では出られなかったような枠の外へ連れ出してくれて可能性を広げてくれるような人間に惹かれるものだろうと思う。だから例え、すぐ好きになろうが出会ってから時間をかけてやっと好きになろうが、その人の人生やその人自身の課題やなりたい自分が深く絡み合って相手のことを好きになっていることに変わりはないと、私は思う。

「私、すぐ人のこと好きになるんだよね」と言っておきながらこんなことを言うのは頭がおかしいと分かっているけれど、「すぐ人のこと好きになるよね」なんて分かったような口を利ける人の気が知れない。それを言われていい気になる人がどこにいるというのだろうか。でも、嫌な気持ちになるよということを、そんなことをいう人に理解してもらうことはできないと思う。なぜなら、繊細な人にしか湧かない不快感だろうと思うし、理解できる人はそもそもそんなことを言わないからだ。

他にも、「自分からいうのは良くて他人に言われると気に触る」というものはたくさんあると思う。例えば、コンプレックスを相手に打ち明ける場合、多くの人は「そんなことないよ」と言って欲しいものだと思う。最初から求めている反応が決まっていることを相手に話すことはあまり良くないとも思うし、私はよくやってしまうのでそれはそれで気をつけなくてはと思うけれど、それでもやっぱり信頼し合っている間柄の会話にこそそういった”ある特定の反応待ち”ということは、どうしても出てきてしまうものだとも思う。それから、”図星を突かれて嫌な気持ちになる”ということもよくあることだと思う。例えば、転職しようか迷っている友人が「今の仕事を辞めたいんだけど、引き止めにあってなかなか踏ん切りがつかないんだよね、これといってやりたい仕事もないし、なんだかなあ」と言ったとき、「じゃあ今の仕事をそこまで嫌だと思ってないってことなんじゃないの?本当にやめたかったら引き止められても関係ないって辞めるでしょ」なんて言ったら、間違ってはいないから言い返せないけれど、”状況”に対して意見をされていて”感情”を無視されたということは感覚的に不快だと感じるだろうと、私は思う。

こういう”間違ってはいないから言い返さないけれど、なんだか不愉快”という感情は、男女間で特に起こりやすいように思う。男は「言葉にしていることが感情の全てではない」という想像力を持って、女は「思っていることは素直に言葉にしないと伝わらない」という素直さを持つことで、少し溝は埋められるのかなあと頭では分かっているんだけれど。これは、なかなか難しいし、私は女なので女の視点で言わせてもらえば、察してくれ!と思ってしまう。

私はこの「察してほしい」という乙女心は、全て少女漫画のせいだと思っている。少女漫画に出てくるイケメンは必ずこの”察し”がとにかくすごい。「もう帰る!」と言えば「待って!」と必ず追いかけてくるし、「なんでもないよ」と言えば「なんでもないはずないだろ!じゃあなんで泣いてんだよ!」と根気良く聞き出してくれる。小学生のうちからそんなストーリーをいくつも読んでしまったせいで、無意識のうちに”察してくれて当然”と思ってしまうのではないかと考えていて、世の中から少女漫画を撤廃すべきだと本気で思うときもある(自分勝手)。リアルな世界の男性たちはとても単純で「帰る」と言ったら「え!じゃあ家まで送るよ」とか言うし、「なんでもないよ」と言えば「そう?ならいいけど、、なんかあったら言ってね」とか言う。でも、流石に24歳の私は分かっている。もうリアルな世界に自分が合わせていくしかない。本当は帰りたくないなら帰るとか言っちゃダメだし、なんかあったならなんでもないとか言っちゃダメってことだ。まあでも、これがなぜだか難しい。

私には、結構たくさん地雷があると思う。地雷とは、好きな人に言われたら「もういいや」と思ってしまう言葉のことだ。常識的に人に言ってはいけない言葉はもちろんだけど、相手からしたら「なんで?」と思うような地雷が多い。軽々しく”好き”って口にしてくるのは冗談でも嫌だし、”今日飲みたい気分だったから会えてよかった”とかも嫌だ。お酒飲めたら誰でも良かったってこと?と思うからだ。当然、こんなめんどくさい気持ちを相手に伝えられるはずもなく、察してくれたらなあと思ってLINEを返すのをやめたりしてみるんだけど、「おーい!」と全然気づかない相手を見て、ああ言わなきゃ伝わらないなあと思いながら、めんどくさい自分に疲れて相手を好きでいることも丸ごとやめてしまうことが、ここ1年は立て続けに起きている。全くもって、現実を見ていないなあと思う。三浦界は、現実世界には絶対にいないのに。(ハニーレモンソーダという少女漫画のヒロインが好きな相手)

そんな私の好きな人は今、先週から3ヶ月間県外に行っている。これまで色んなところに一緒に行って、共通の友達たちからは「絶対両思いじゃん」と言われる関係なのに、一向に告白してくれない彼。まあでも、毎日LINEして、こないだも6時間(これはさすがに自分たちでもびっくりな長時間だけど)電話して、やっぱり話してると一番楽しいからこのままでもいっかあと思っていたけど、昨夜、彼はLINEで地雷を踏んだ。軽いノリで「嬉しすぎて好き!」と言ってきたのだ。好きってちゃんと告白はしないくせに、簡単にそういう言葉を使うなんて弄んでるの?と思ってしまって、丸1日返信しなかったら、泣いてるスタンプが来て、ああまたこれかあと私はまた最近自分のめんどくささに嫌になってきてしまっている。でも、映画「青くて、痛くて、脆い」を観て、「もし自分が変われたなら」と考えた。そうしたら、もうこれは素直に言う以外ないんじゃないかなあと思った。だから、このnoteは、彼に素直に気持ちを伝える前に整理したくて書いている。ぐちゃぐちゃだけれど。

もしも私が変われたのなら、彼に伝えたいことがある。好きな相手から冗談で好きって言われるのはちょっと辛いよ。だって、本当に好きって言ってもらいたい。(こんな長々書いて、伝えたいことはたったのこれだけ…でも、傷つくかもしれないって思うとこういうこと言うのは難しく感じてしまう。カッコつけて言うの我慢して、飲み込んだ言葉のせいで一緒にいるのが息苦しくなって、勝手に冷めてしまうなんて、もう嫌だ。)

私は変われるだろうか。


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