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バーンサムリ村#2

 間違いなく斜度30度はあろうかと思われる坂道を、作り終えたばかりのナムプリックを手にMaiが少し前屈みに歩く。去年の秋にコンクリート舗装されたと言うが、ガードレールなんてものはなく、右眼下は谷底、一歩足を踏み外すと間違いなく生命はない。この地はやがて雨の季節を迎える。僕は、舗装される前のこの坂道を想像する。叩き付けるスコールが濁流となり、ぬかるんだ急坂を走り抜ける。とても人が歩けるとは思えない。
 リス族の祖先は元々、中国の四川省から雲南省にかけて流れるチベットを源流とするサルウィン川の両岸周辺で、移動開拓型の焼畑農業を生業とする、国境と言う概念を持たない山岳少数民族である。しかし、数世紀にわたる移動に伴い、漢族や満州族と言った他民族の迫害から逃れ、一部は西方へ移動し、インドのアッサム州、ミャンマーのカチン州に渡り、また、Maiの先祖たちはサルウィン川沿いに南下し、先住民の北タイ族の目を逃れ、険しい山を切り開き集落を作った。チェンマイからチェンライと言ったタイ王国北部には現在、約三万人のリス族が暮らしている。
 男の子と女の子、坂の上から子供が二人、裸足で駆け下りて来る。Maiの前で立ち止まり、ペコリと頭を下げ、興味深げな視線を僕に向けた後、「イープン、イープン」と叫びながら、再び坂道を駆け下りて行く。
「《イープン》、タイ語で日本人と言う意味よ」
 振り返り、Maiが言う。

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