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まじでペルーに人生を狂わされたんだと思う。


ペルーにはもう4回訪れていて、その多くはクスコに滞在していた。

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クスコはマチュピチュなど世界遺産を巡る拠点になる場所で、多くの観光客で賑わっている。この街には不思議なことがいっぱいで間違いなく僕は、ここに訪れてから人生を狂わされてしまったんだと思う。


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シャーマンがいるのだけど、彼らは精霊を操れたり幽体離脱ができたりするらしい。そんな漫画みたいな存在が確かにクスコにはいて、街にはチラホラとシャーマンショップと書かれたお店があったりした。

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ほんの好奇心でそのお店に訪れると、ツンと鼻を刺すような独特な匂いがして、ド派手なアクセサリーや楽器などが陳列されていた。口を半開きにしながら店内を見渡していると、こんな張り紙を見つけた。

「ceremony」

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儀式と書かれているその張り紙を前に、僕は何をするんだろうとお店の人に聞いてみた。すると顔色ひとつ変えることもなく、胡散臭いおばさんがこう言った。



「アヤワスカだよ。」


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さあ皆さん。一度記事を閉じて、googleで検索をかけてみましょう。

【アヤワスカ】 と。

恐らく当時の僕と同じ気持ちが味わえるはずです。






"地上最強のドラッグ" "幻覚剤"

"臨死体験" "究極瞑想"

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そこに書かれていたのはどれも危なさマックスのいかにもな言葉だらけだった。何これ怖すぎるよとその場は足早と去ったのだけど、結論から言えば僕はそれを飲んだ。

その体験談やどうなってしまうかのあれこれは色んな方がブログなど載せているので十分かなと思います。僕も同じようなものでした。


今回、僕がするのは後日談です。


アヤワスカを飲み干してから彼此2年が経った。そんな今でも影響していることはあるのかという話です。これも結論から言えば、僕はこの時から人生を狂わされてしまったんだと思う。


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半年後、

パニック発作が起きるようになった。

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当時かなりのバッドトリップを起こしてしまい、その体験は壮絶なトラウマを僕に植え付けた。暗闇で寝転がってたり、狭い空間やエレベーターなど逃げられない場所に身を移すと、当時の体験がブワっとフラッシュバックして心臓張り裂けそうで過呼吸になった。


目を瞑ると万華鏡のような空間が広がって、それに見惚れてしまうと精神は肉体を飛び越えてしばらく戻れなくなってしまう。僕はそれがあまりにも恐ろしかったから感覚が落ち着くまでは絶対に目を瞑らなかった。故に不眠症になり、鬱になった。

例えるなら1平方メートルの檻へ強制的にブチ込まれて、死ぬまでここでじっとしてろと言われてるような感覚。そこにいる間は苦痛だらけで酷い吐き気や頭痛、とてつもない動悸に襲われる。出られるものとは思えなくて絶望する。一生このままかと、ものの数分で正気を失い何度となく発狂しかけた。

毎晩唸って、悶えて、身を縮め、それでもなんとか耐え続けた。


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1年後、

パニック発作が治る。


特にきっかけがあった訳でもなく自然にゆっくりと治っていった。治ったというよりも馴染んだという方が正しいのかもしれない。いきなりぶっ飛んだ話をしてしまうけれど、精神と肉体は別物で、馴染んだというのは精神と肉体が別物だっていう感覚が板についたということです。

甘いものを食べたり、買い物をする。カラオケに行ったり、運動をする。そういった自分なりのストレス発散方法を、大人になるにつれて身につけていくものだと思うけれど、板につくとはまさにそういう感覚。


どうしたら自分は喜ぶのか。またどういう状況に自分がストレスを感じるのか。

自分とは死ぬまで付き合っていかなければいけない他人です。自分(精神)で自分(肉体)の機嫌を取るみたいに、その逆も然り。互いで互いを成り立たせるという感覚がやっとのこさ板についたのです。

自分は自分だと思っていたから肉体は精神を飛び出せずに苦しんでいたし、精神が肉体から離れることも気持ち悪くなってたんだって思いましたね。


ええ。何言ってるか僕にもわかりません。ものすごく感覚の話です。ここから分かりやすくなるので、もう少しお付き合いください。


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さて、現在です。

実はもうほとんどのことは忘れてしまいました。


今までツラツラと書いてきたことは全て思い出しながらです。今はもうその時の感覚や感情などを強く振り返ることはできません。たまに匂いで蘇る幼少期の記憶みたいに、確かこんなことあったなあと、キッカケがあってやっと振り返れるくらい淡いものとなってしまいました。

時間とは恐ろしいものです。あんな酷い体験だったのに。

あんなにも板についたと思っていたのに。

忘れてしまいました。何もかも。



僕は今回、「忘れてしまう」ということを書きたかったのです。


いつか想いを馳せた感情や、やっとのことで掴んだ感覚も、時間が経てば全て忘れてしまいます。思い出すと寂しいけれど、思い出せないと寂しいこと。そういうことが大きくなるに連れて増えてきた気がします。

これだけ長々と生々しく書いたことも、全ては言葉の上でしかなくて、感情として強く思い出せていません。


アヤワスカ体験を終えてから何もかもがどうでも良くなった。どっちでも良くなった。不幸でも幸せでも、強くても弱くても、遠くからみれば全て同じ事のように感じるし、どちらも互いに互いを成り立たせ合う精神と肉体のようで、塩梅こそが大切でした。どっちも必要。

その感覚が腑に落ちてしまったことは、確実に僕の人生を狂わされているんだと思う。

それすらあくまで「思う」です。確かなことではないけれど、経験がきっと今の自分を作ってると信じていたい。そうしなきゃ過去の自分はなんだったんだって。せめてもの報いです。思い出せないことへの。狂わされたって「思いたい」だけです。


そうやって認めてしまうと途端に切なくなったり。そんな、寂しさを少しでも共有したかったのです。

前向きに捉えるなら、大丈夫だということも。こんな強烈な体験でも淡くなるのなら、きっとなんでも時間が、非情でも慈愛にも忘れさせくれると思う。パニック発作もいつか落ち着くし、夜もちゃんと明ける。


今回はそんな対比にアヤワスカ体験はうってつけだったし、ずっと1年前の話もしたいと思ってたから今がタイミングだと思いnoteを開いてみました。


あんなに辛かったことも、思い出せないならそれはそれで寂しかったりもするのです。



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そして4日後から、僕は古着屋をオープンします。

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そこできっと起きるであろう数奇的な出会いも、致命的なミスへの後悔も、

ずっと大人になった僕もまた、淡くにしか思い出せないんだと思う。


けれど今を大事にできるのは、終わる今があってこそだ。


そんな屁理屈を胸に、どんな理不尽も、喜びも、悲しみも、血も涙も、

大事に抱きしめて前に進んでいこう。そう思っています。


さあ、まずは6年間。力を尽くしていきましょうか。











結局宣伝かーーい

以上です

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