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流動性という原則

人はある一定の行動原則のもとで生活を送っている。自分では気づかないその原則のもとで、同じようなところを何度も何度も通過している。
それに理由はない。人間という動物の原理に則って生きているだけである。

足下をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている蟻と同じように、人間も、生命活動の原理に則って、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、そして同じようなところへ来ては、同じように迷い、同じように間違えたりしている。

そこから少し俯瞰して見れば、そのようなことを繰り返す群が、水や空気の流れと同じように、ある流動性の中で、ただただ流れ、うごめいている。

社会というのは、動物的活動様式の観点から人間を見た時に、そんなような、はっきりとした理由がない、原理に則ってうごめいている。そんなものではないかと思う。

人間の内面もある流動性の中の出来事である場合が多い。
感情の動き、脳の働き、習慣、単純な原理に則って、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、同じようなところを何度も何度も通過している。
特に感情というのは、絶えず移り変わる雲のように、湧き起こったり、知らないうちに消え去ったりしている。そこに理由はない。
それが人間の原理であるから、感情が湧き、消えるのである。

そう捉えた時、一生のうちに人の成長など無いに等しいのかもしれない。長い時間軸で見れば微小な変化はしているかもしれない。だが、一人の人間が一生のうちに果てしない変化を遂げることなどは無く、毎日毎日、同じようなところを通過しては、同じように悩み、同じように間違えている。

積み重ねられるものなど、ほとんど無く、ある流動性の中で、流れ、うごめいている。
そうして、ただただ毎日を繰り返し、一生を終えるのだろう。

その中で何らかの一時、何か一言、残すことが出来たなら万々歳!
ここのところ私は、そんな小さいようで、実は難しい希望を抱いている。


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