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栗屋敷のユリ【第36章】天国と地獄

オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」
 三学期の始業式。ママが寝坊して集団登校に間に合わなかった。私もちゃんと目覚まし時計をかけていなかったのが悪いのだけれど。慌てて用意をして走って登校する。どうにか間に合って昇降口につくと、マリアちゃんが待ち構えていた。
「ユリちゃん、大変!」
 小声で言いながら、私を教室とは反対の方に引っ張っていく。
「どうしたの?」
 「木村と付き合っているって本当?  誰かが二人でいるところを見たらしい」
「まさか。初詣は一緒に行ったけど。そういえば前に映画も行ったなあ。でも、全然そういうんじゃないけど」
「とにかく今、その噂が広まって、泣いている子もいる」
 マリアちゃんによると、木村のファンは同じ学年だけでも結構いるらしい。そして木村とマリアちゃんは付き合っていることになっているそうだ。私は仲良しになったマリアちゃんの彼氏を奪ったということのようだ。私は驚いて声をあげた。
「なんでそうなるの?」
 予鈴が鳴っている。マリアちゃんと二人でいそいで教室のほうに戻ると、廊下にはまだ立ち話をしている女子のグループがいた。私たちに気付くと急に話をやめて、こちらの方を伺うようにしている。
 他のクラスから私を見に来たらしい。マリアちゃんなら認めるけれど、なんであの子が…ということらしい。泣くほどのこと? と思う。
 まあ、恋をしていたら、泣くよね。ささいなことで泣いていた自分のことを考える。とにかく私は関係ないですから! と叫びたかった。
「放課後に図書室で話そう」
 そう言ってマリアちゃんは隣の教室に入って行った。
 私が席に着くと、仲良くしてくれているスポーツ系女子の一人、高田さんが身を乗り出して聞いてきた。
「本当?」
「違うよ。誤解」
「だよね」
 そう言って、首を振って原島さんと村井さんに合図をしている。
休み時間になると、木村はいつもと変わりのない様子で私の席までやってきた。クラス中の視線が集まっている気がする。
「これ、先に読んで」
 そう言うと、まわりをみてため息をついた。そして誰にというわけでなく、いつもの大きな声で言った。
  「青江は俺のこと眼中にないから。他に好きなやつがいるから俺の片思い」
 ざわめきが起こり、教室から廊下にいる子たちにまで拡がる。私は木村が置いた本をつかんで教室の外に飛び出した。
 好きな人がいるって、なんで知っているのだろう。片思いって何よ! そんなこと初めて聞いた。みんなの前で言うこと? 行く当てもなく早足で廊下を歩く。なんだか腹が立ってきた。非常階段のところまで来て、立ち止まって息を整える。本には走り書きのメモが挟まっていた。

 気にするな

 気にするよ! でも教室には戻らなくちゃ。逃げ回っているわけにはいかない。私は何ともないふりをして教室に戻った。
 次の休み時間に高田さんが解説してくれた。廊下で泣いていた三組の木村ファンAは、うちのクラスのかっちりお嬢様系リーダー山崎さんの親友。 ファンB、ファンCは、うちのクラスのひらひらフリル系の二人。それに高田さんもちょっと好きだったかもとのこと。知らなかった!
 授業が終わると私は逃げるように図書室に向かった。
 教室を出ると他のクラスの女子が真剣な表情で私に向かって来た。
「青江さんですよね?」
 うなずくと、分厚い手紙を手渡して、何も言わずに行ってしまった。ともかく図書室に行くとマリアちゃんが鍵を持ってきたところだった。今日は午前中授業で図書室の開放はないのだが、マリアちゃんが先生に借りてきたみたいだ。
 ドアを閉めて椅子に座るとマリアちゃんが言った。
「リョウのやつ、やっぱり変だと思ったんだ」
 木村の発言はもう隣のクラスにも知れ渡っていた。
「マリアちゃんと木村って、つきあっていたの?」
 私はそのことも知らなかったのだ。
  「まさか。お互いに楽なので言わせといただけだよ。変な手紙とかこなくなるし」
 そういえば、さっき手紙を渡された。さっと読んでみると、だいたいこんなことが書いてあった。木村は素晴らしい人である。それなのにあなたのような人が、なぜ木村の気持ちに答えないのか。授業中に書いていたのだろうけれど、よくこんなに長い手紙をかけるなあと感心してしまう。
「マリアちゃん。人気者って大変なんだね」
「あと一ヶ月は我慢だね」
 マリアちゃんは笑っている。
 今日は朝ごはんも食べていないし、なんだか頭がくらくらする。

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