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道徳教育

そもそも教科ではなかったことに驚いた。
道徳を受けてない学年がある?知らなかった。
私は親が共働きで面倒を密に見られない代わりに、小学校から12年の一貫校に入れてくれた。
私はこの選択を正解だと思っていて、実際、私の価値観のほとんどが小中高で与えられた道徳教育を軸に形成されている。
いわく、人を想い、よく思い巡らし、愛し、尽くすこと。
多くの良き経験を得た。
だからこそ、道徳の教科化で思い悩む公立教員というものに大変意義を感じつつも憂慮を覚える。
公立の学校は、公務員による法の下の教育だ。
ひとつの宗教的道徳性というのは、良くも悪くも一本の筋があるが、公立の学校は多様性をはらんでいる。
つまるところ、これが道徳として正解答だと彼らに示すことは難しい。
家庭によって、バックボーンによって、答えは異なるだろう。
自分の子供のことを考える年になって、私立に入れることが全て正解ではないと思う反面、公立に通わせて私は子に道徳性を供与してやれるのか(少なくとも私は親からそれを与えられたことがない)、不安で仕方がない。
子を正しく育てたいということはこれほどまでに難しいことなのか。
全ての親がきっと悩んで生きているのだろう。
悩むことが多いことは、豊かであり、苦しみであり、幸せでもある。
最近、子を作ることの難しさも考える機会があったので、それはまたポストしたい。

※本稿は2018年のtumblr投稿から転載した記事のため現在の思想と異なる場合があります

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