見出し画像

うさぎのパイ

土曜日にピーターラビット展に行った。
私は、百貨店や商業施設の展覧会をちょくちょく見てる。
美術館の展覧会よりエンタメ感覚。
会場の費用にそこそこ食われるぶん、来場数が稼げるようなミーハーなテーマが多いからかな。
あと、勉強意識が低めで行くからかな…。
展覧会の中に熱く流れてる血液?のようなものが感じるのが好きだから、お気軽にそういうところを見に行けるのが良いのかも。
貸し会場の展覧会は大抵、スケルトンに仮設壁の展示になるでしょう。あれがすき。
まあ美術館もホワイトキューブが進んでからはフレキシブルだし、貸し会場の特徴と言い切ることはできないが。
仮設壁の展示は、観覧順がどちら回りかとか、壁の仕上げは何かとか、天井をどこまでスケルトンで残すかとか、かなりディレクション…美術さんの熱意が反映されて面白い。
もちろん、そこに飾られた作品へのキャプションや、挨拶文などの中に見える、教育者の意図みたいなものも面白い。
展示されている作品にはかならずバックグラウンドがあるし、そうしたものの掘り下げ方から、わーめっちゃアツいなこの展示…みたいな学びの喜びを感じさせられる。
そこに、スポンサーとか代理店とか、これイベントとしてうまくいくで!っていう情熱がもうひとつ加わる。
こんな面白いこと企画して、気持ちいいだろうな!っていう羨望を抱かずにはいられない。
ああ、だから、滅多にないけど、行ってガッカリするのは、展示内容には全然興味ないんだけど、事業性がマッチしたから?止まらないところまで話が進んだから?やっちゃったよねみたいな展示。
前提として「滅多にない」と言えるのは、展示の何かしらにパッション持ってやってないような展覧会そもそも少ないと思うから。
ピーターラビット展は、そういう視点でいうと、何よりかにより美術さんがすごくよかった。
キャプションは親しみやすかったし、人もそこそこ入ってて観覧しづらくてそれはそれで良し…ってかんじだったんだけど、とりわけ、仮設壁の施工がめっちゃよかった。
あまりに壁をまじまじと見過ぎて、同行者にも、監視スタッフにも怪訝な顔をされた。
最低限のコストは惜しまない展示!
ピーターたちが過ごした、湖水地方の田舎らしいまったりとした空気を感じさせるかんじ。
バレない程度に削減して、必要なところは多少かけてもこだわる。
収益が見込めてるからこそできる贅沢だなとおもう。
経済性の余裕が心の余裕を生むというのは時に残酷だけど事実だよね。
たくさんの余裕…紐解けばビアトリクスの余裕が示されているのだなあと感じた。
ピーターラビットは、ここ2年くらいのムーミンムーブメントがひと段落しつつあるから、ちょうど今打ち込むのには最適な題材なんだろうなあ。
そして踊らされる私たち。
面白かった。
興味があれば。
http://www.peterrabbit2016-17.com

※本稿は2017年のtumblr投稿から転載した記事のため現在の思想・主張と異なる場合があります

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?