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勝負は時の運ではない。リングの上で対峙した時もう勝負は決まっている

           「木鶏」という中国の寓話がある。

簡単に説明すると、中国で闘鶏が流行った時、ある王様が自分のシャモを敏腕調教師に預けた。

王様がシャモを預けて10日目。調教師に尋ねると、シャモを指し「まだ空威張りの最中でダメです」という。以下、10日毎に王様に対する質問に対する調教師の答えを記載する。

20日目「敵の声や姿に興奮するからまだダメです」

30日目「敵を見るとこやつが見下ろす所があるのでまだダメです」
    

40日目「宜しい。どんな時でも無心で、見ると木で造った鶏の様です。もう徳が充実したので天下無敵です

そしてこの鶏を大会に出すと、勝負時に、相手の鶏は土俵上で一礼して去っていった、という話である。

当時新日本製鐵社長だった、武田豊という方が安岡正篤先生に教えて頂いた言葉で「男子志を持つべし」という本に載っていた。以前読んだ安岡正篤氏の別の本に、安岡先生は面白い事を書いている。

「勝負はやってみないと分からない、というのは間違いで、武道を心得た者なら分かるが、相手と対峙した時、相手の力量が分かる。この時、もう結果は出ている」という事が書いてあった。

素晴らしい言葉であるが「私の様な凡人は、公の自著でここまで書けねえな」と妙に感心したのを覚えている。

「ボクシングにラッキーパンチはない」という言葉も、この思考からきているものと思慮できる。何千回、何万回と練習し、己を信じ平常心で放ったパンチで逆転KOが生まれるのだろう。

こういう信じられない逆転が起きた時の感動は、スポーツではボクシングがこの世で1番だから、ボクシングは歴史があり、崇高で面白い。だからボクシングは夢を与えた上で、世界一稼げるのだ。

自分の選手の事は、当たると嫌なので試合前は口に出さぬが、選手を毎日見てると、負ける時は戦う前に分かる。まず殆ど外れない。

世界戦や他のジムの好カードと言われる試合も、良く見てると選手入場時の表情で勝負が分かる時がある。番狂わせが多いのは、負ける方が作り笑顔で入場したり、普段と違う事をする場合に多い。

これは平常心ではないからで、逆に試合中、劣勢に立たされながらも「この選手はまだ逆転があるぞ!」と思う時は、目が死んでなく、最後の最後まで自信に満ちた眼光が消えない選手に多い。

心技体が揃い、自分が負ける筈がないと言える、練習量と思考を作って来たからこそ、逆転が出来るのだろう。上記木鶏の40日目の心境と言える。

又は相手を最初から舐めていると、勝てる相手に番狂わせと言われる負けるべくして負ける結果となる。これは上記の木鶏、10日目の状況と言えよう。

上記の鶏に見るよう、こういう事は一朝一夕で作れる物ではない。強い選手は必ず1人でいる時の精神と、練習内容の経過が正しい。

持って生まれた者が努力を怠ると、最初に消えてしまうのが才能ではないか。練習は裏切らないが、メンタルは正直だ。これが如実にものを言うのがボクシングであり、人生もまた然りである。

こういう事を勉強しながらボクシングを考えると、人として自分の成長とその確認、反省。こうした物を学べるので、人の事が気にならなくなる。一石で・・・おー、四鳥ではないか。

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こう考えると、人間は永遠に伸び代がある。今、海外では50歳にして世界に返り咲く選手がいる時代だが、こういう人達はこんな事を考え、トレーニングをし、生活しているに決まっている。

こんな素晴らしいスポーツを指導できる事と、こんな高邁な書物と古本屋で出会い、ナント360円で購入出来た事に感謝する。

宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。