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生殺与奪と信賞必罰

生殺与奪と信賞必罰。
一読するとどちらも怖く感じる言葉であるが、まず信賞必罰について、思うままに書こうと思う。

会社や、例えばプロボクシングで例えると、社員や選手が全く同じ成績を残す事はない。当然、待遇が皆同じという事にはならない。

日本チャンピオンで、タイトルを5連続防衛した人と、1度防衛した人のファイトマネーは基本違う。

次に、そこに至る間に、チャンスが来た場合、そのチャンスを物にする選手がうちに2人いた、と仮定する。

当然、私は毎朝走り、密度の濃い練習をし、常にプロボクサーとして前向きである選手にチャンスを与える。これは私の曲げられぬ教育論である。

反面、チャンスを与えたものの、それから練習に来たり来なかったりになってしまうと、その選手がいくら強かろうと、私は次のチャンスを与えない。試合も組まない。自分で掴ませる。

何故か?頑張る子に取り、強いからサボっててもチャンスを与える事は、不公平だからだ。強いから、利益を上げるから何をしても給与が良い、という事にはならない。

信賞必罰とは、会社では利益を多くもたらす人には、給与を多く与え、逆の場合は減俸となる。会社の服務規定に反すれば、戒告や諭旨退職、解雇になるもあるだろう。

さて。今回特に考えたいのは、生殺与奪である。因みに生殺与奪の意味を、ネットで調べるとこのような意味であるらしい。

生殺与奪の由来は、荀子「王制」の記述からである。語源は、「生殺」が生かすことと殺すことを指しており、「与奪」には与えることと奪うことといった意味がある。生殺与奪は生かすも殺すも、与えるも奪うも自分次第でどうにでもなるという、他人やその対象への支配力や権力が絶対的であることを意味する四字熟語だ。元々古代中国では、国の支配者が国民の命を握る圧倒的権力者だった。それを中国の思想家荀子が書き記し日本に伝わったのである。

今はほとんど聞かないが、昔のボクシング界は、こう言うことが多かった。

チケットを多く売る子には、練習をしなくても試合に出し、頑張ってるけれど、友達や知り合いにチケットを売れない子には試合を組まない。

相手ジムからファイトマネーが十万でているのに、会長が全部懐に入れて呑む。酷い場合、更に試合を組んでやるから、金を持って来い、などというツワモノもいた。

嫌です、などと選手が言おうものなら、選手生命は本当に終わる。生殺与奪を握る会長は、じゃあ試合を組まない、という事になる。よくあるボクシング界アルアルだった。

因みに今はネット社会の上、我々の業界にも、公正取引委員会が介入したので、今は殆どこういう事はない。

ボクシングジムは、会長が選手の生殺与奪を握っているので、この様な理不尽な事が多かった。私は一介のトレーナー時代。この理不尽な行為がどうしても許せなかった。

2009年にYANAGIHARAジムとして独立し、自分のジムの選手は公平にするべえ、と誓い、強くても練習しない子には試合を組まず、弱くても前を向いて頑張る子には平等にチャンスを与えた。

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その結果、金銭的には相当損をした。しかし徹底してこれを続けた結果、YANAGIHARAジムは真面目に練習する選手ばかりになり設立4年目で日本ランキングと東洋ランキングを奪取した。

最早、意地であった。私も選手も全てをボクシングにかけ、清廉潔白に事を継続した結果、そうなった。

うちは強くはないが、スタミナはどこにも負けない選手が殆どだ、と自負する。

おまけに、振り返ると当然成るべきして成ったのだろうが、素直な子ばかりなので、幼稚園児や小学生が、先輩の背中を見て育つ。だから今は、躾に手がかからない、という嬉しい誤算までついた。

さて、私はジムの選手の生殺与奪を握っている。生殺与奪、という言葉は、上記で引用したそんなに悪い意味だろうか?

正しい徳を積み、正しい信賞必罰をきちんと行い、正しい生殺与奪の権利を行使すれば、良い結果が出ると考えている。

下記の記載があったので、まあ読んでくれ。

生殺与奪の例文、使い方生殺与奪を使用した例文は、「動物や生物は生殺与奪の権利を人間に握られている立場の弱い存在だ」や、「個人事業主の私にとって、生殺与奪の権利は取引先の社長が持っていると言っても過言ではないだろう」などが挙げられる。生殺与奪は基本的に動物と人間の間の関係で使用されることが多いとされている言葉だが、実際には人の立場を生殺与奪で表現することも少なくない。生殺与奪の使い方としては、圧倒的な立場の違いがある時に用いるということである。先輩後輩程度の関係で生殺与奪を用いるのは適切ではない。

うーん。

まだまだ日本語の意味を勉強し、論語や孔子、三国志なんかを勉強していこうと思うが、私はこれからも生殺与奪を正しく使い、正しい教育をしたい。

生殺与奪という言葉が正しく使われる世の中が、当たり前に決まっている。そして将来、上記の日本語の辞書に、加筆修正を加えてやろうと思う今日この頃である



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