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漫画編集者による意味のよくわからない言葉から漫画の本質に近づいてみようのコーナー1

漫画の編集者は電気毛布の夢を見るか

こういうコーナータイトルをつけると
「あ、こいつは漫画の編集者を馬鹿にしようとしてるな?」
と思われそうだが……別にそういうわけではない。
漫画編集者は総じて勉強が足りない気がしているのは確か。漫画編集者ってのは大体がサラリーマンで、日本のサラリーマン全体は先進国一強しない勤め人だというのがOECDで報告されているそうだから、そんなに驚くことではない。編集者ってのは大変なのである。どう大変かっていうと……。

★漫画ってのは奥深い。
漫画の本質なるものがあったとして、漫画の本質がわかってる人は多分少ない。(ボク自身で言えば本質全体を100したら2か、せいぜい3くらいしかわかってない気がする)
★自身の漫画理解の度合いにかかわらず編集者は、新人の漫画家・漫画家志望者の指導をせねばならない。
★会社人として波風立てずに生きなきゃいけない

短期間ではあるがボクも漫画の編集者をやったことあるので、上のような状況はいくらか理解できる。特に一年の大半を会社で過ごすってのはかなりしんどい。
一方、ボクはそういう編集者と相対する立場にいるし、相対しつつある学生たちの教育に勤しんでいる。そして編集者と漫画家がすり合う場面で、どうやら漫画の本質に近いモノがチラチラ姿を見せているのではないか?という思うようになってきた。このコーナーではそういうものを取り上げながら漫画の本質とやらに幾分かでも迫ってみたい所存。

最初の方がよかったね問題

さて……漫画家志望の人は漫画を描いて編集者に見せて意見をもらう。商品化するためだ。その時に編集者は
「この部分を直して」
とよく指摘する。これこれこういう理由で……と、論理的に説明する編集者もいる。「そういうものか」と思い直して再提出すると「今度はこっちを直して」と言われる。「?」と思いつつまた直して提出すると「ここも」と指摘。
そういうのを繰り返して最後にどうなるか。
「最初の方がよかったね」
と言う言葉を編集者は首をひねりながら発するのだ。
ボクだけに限っても「最初の方が良かったね」発言は何度も聞いている。学生たちに聞くと個々同じような言葉を耳にしている。お天気のあいさつをするようにこの言葉を言う編集者だらけだ。日本の漫画界を総括すると何十億回と発せられているだろう。「こういうように」と漫画の編集者は申し送りをされているのか。「最初の方が良かったね」

むろん
「お前が無能だからこんなことになるんだろうよ!」
と漫画家や志望者が怒ったとして、無理からぬモノだろう。だってそう言われたんだからね。
だが怒る前に待って、そして考えて欲しい。
編集者が「ここに問題を感じる」という感覚は生かした方がいい。とにもかくにも「何かを言わなきゃいけない」という責任を負っているのだから、それなりにレーダーを働かせた結果のはずなのだから。じゃあここはどうしていけばいいのだろうか?

アリストテレスに学ぼう


編集者の「そこに問題がある」という感覚が正しいと判断できたら漫画家は次のすると良いと思う(もちろん編集者も)。

★その問題について考えて解決案を考える
★その作品全体のもつ良いところ、味わいを検討する
★解決策が味わいなどを損ねないかどうか確認する
★損ねる場合は、
①無視して良い問題かどうか検討する
②無視できない場合は全体の味わいを消さない方策を考え直す

問題はあるけど無視して良い、なんてことは実際はよくあることだ。例えば人体内には腫瘍の類いはいっぱいあるけど検査すらしないことが多い。「経過観察しましょう」と医者に言われて「こいつはサボってるのか!」と怒る人は多いらしいけど、そうではない。検査のための穿刺などが体にダメージを与えたり、合併症を引き起こすリスクがあるから。(もちろん、サボってる人もいるわけだが)
こういう例と同じで、どこかの部分を直すためには実際は全体を仔細に見渡し続ける必要がある。良い部分だけ持ち寄ったからって全体がよくなるわけではないのだ。つまり

漫画はまず全体をみる。部分から成り立ってるけど、部分を寄せ集めても全体にはならない

いやぁ良いこと言うなあ、我ながら。と思ったが、なんかこの言葉聞いたことがある。今調べたら、アリストテレスの言葉にそっくりでした。
「全体は部分の総和に勝る」
と、ヤツは言ったらしい。どうも「漫画の本質」なんて話のつもりが物事の本質に近づいていたようである。

ということで、この稿続く。


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