『詩歌川百景』でみる連載漫画の構想の仕方
今回は長いスパンで漫画家をやっていく人のためのお話をします。難しいですが、気の向いた方は読んで下さい。
題材は吉田秋生さんの『詩歌川百景』(うたがわひゃっけい 小学館「月刊フラワーズ」連載)。これは好評を博した『海街diary』の地続きの作品、姉妹作であります。この二つを比較しながら連載漫画をどう構想していけばいいのかという話をしてみましょう。どちらも家族をモチーフにした話であります。
『海街diary』は父親の死をきっかけに東北の谷間の温泉街を飛び出し、異母姉たちと鎌倉で暮らし始める少女のお話。主人公は見知らぬ人たちだった異母姉たちと信頼と情愛を重ねていき、少しづつ行動の枠を広げていきます。つまり主人公は横へ横へと自分を拡張しているのです。冒頭シーンはお葬式で親戚、一族が折り重なるように暮らす谷間の軛を振り払って出ていく電車のシーンは何度読んでも胸が熱くなります。主人公が暮らすことになる鎌倉、材木座の海が広がる背景も拡張していく感じを強く助けています。そして、最後、主人公は我が家となった鎌倉からさえ出ていきます。読み終わると開放感を強く感じます。
連載を作る時に読後感をイメージしながら構想を立てるやり方があります。この漫画もそれを終始意識して作られ続けたと想像が出来ます。とにかく最後に開放感をもって貰えば勝ち!と思えばストーリーが横道にそれたって、少々陰鬱なストーリーだってヘッチャラなのであります。初学の人はストーリーの顛末に注意を払って構想する人が多く、読後感を軽視します。が、とてつもなく重要なんです。ストーリーが少々破綻してても(吉田さんはもちろん全然破綻してませんが)「アー、読んで良かった」と思って貰うことが、次の仕事へ繋がるのですから。
ボクの初長期連載『UP・SETぼ~いず』は、「あーーー、すっきりした!」の読後感を狙って構想しました。そのために「再挑戦する少年たち」というモチーフにして描いていきました。失敗→再挑戦→成功というサイクルはすっごくスッキリしますものね。そして「あーーー、すっきりした!」を読者に感じて貰うために、失敗→再挑戦→失敗→再挑戦→失敗→再挑戦→……というストーリー展開にしました。「最後の一回の成功で全部すっきりするはず」という見込みを持ってです。途中は「読者、ついてきてくれるかなあ」といつも心配でしたが。
話を吉田さんの漫画に戻しますね。
この『海街diary』を描いてる間に『詩歌川百景』の構想を練ったのではないかな、と推測できます。『海街diary』の主人公の義理の弟が山間の温泉街に残り、そこでいろんな家族と触れあっていくお話だからです。
家族たちにはきょうだいがいて、父母がいて祖父母がいます。濃密な家族の姿が描かれています。その濃密さが嫌で町を出て行った人さえ、戻ってきて話に参加したりするのです。『海街diary』が一人の主人公の横へ横への物語なら、『詩歌川百景』は主人公(だけでなく主要な登場人物全員の)時間の流れ、人生の連なりを意識させる縦の物語なのです。
もうおわかりと思います。横の次は縦。前作と同じモチーフを切り口を変えることで全く印象の違う物語を構想できるのですね。ここでのモチーフは家族です。長い連載の間に家族について考えたことを違う角度から見直す機会も何度もあったでしょう。それを活かして構想されたのがこの作品であります。
ここには、連載漫画の構想の二つ目のやり方があります。一つの連載の過程でこぼれ落ちたもの、違う見方に気が付いた事を次の連載で活かしていく。長く連載をやっていく一つのコツでなのです。
再びボクの自作を解説します。『UP・SETぼ~いず』は高校の将棋部の話でした。その後日譚を作って欲しいという依頼が来たときに、依頼主の編集者が意識したのは同じ主人公の成長した姿だろうと思います。『UP・SETぼ~いず』のためにいろいろな高校の将棋部や大会を取材して廻ったボクは、その時の蓄積を活かしたくなりました。同じ主人公が成長した姿になると一から取材し直しになります。そこで、編集者の予想と違う、別のタイプの漫画を構想したのです。それが『笑え、ゼッフィーロ』でした。(編集者の顔を立ててほんの一部、同じ人物を重ねましたが)。
吉田さんの縦横の違いに当たるものは何かというと……。
『UP・SETぼ~いず』→部活の将棋
『笑え、ゼッフィーロ』→将棋の部活
寝ても覚めても将棋漬けの『UP・SETぼ~いず』と比べると『笑え、ゼッフィーロ』は、もっと緩い。体育祭があったり試験があったり勧誘があったり追い出し会があったり、もちろん恋の話も…高校の部活で起こりそうなことを描き続けたのです。取材には『UP・SETぼ~いず』の取材で培った人脈を頼りました。それでいて全然違うトーンの漫画のできあがりになったのです。