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「『エヴァンゲリオン』ってまだやってたの?」その2

今回もネタバレあるかも。ないように気を付けますが。

とにかくこのエヴァンゲリオンというヤツは設定を読むのにみんなでシャカリキになっているわけだが、ボクはその辺りはあまり興味なくって、「なんだかやってるなあ」くらいにしか思えない。気になるのはストーリーの構成である。

完結編で全く納得がいかないのは「その1」で話したようにストーリーがないことだが、もう一つ、ドラマがないのも見ていて疲れる原因になっている。

エヴァンゲリオンにドラマがないというと「えっ?」って声が上がるかも知れない。今回はその辺りを話す。
まず、ドラマというのは葛藤だ。理想とか欲望とかと現実のズレの中でウダウダ考え込んで頭抱え込んで転げ回ったあげく、仕方なくも一歩、二歩と踏み出していく。そうすると向こうから同じようなヤツがやってきて何かを巡って対立する。こうしてドラマは生まれる。
シンジはまさにそのままだろう、何言ってんの、コイツ?
と思いますか?

そうではない。
シンジには何もない。
彼は傷ついた(らしい。アスカが説明した所によると←またも会話で説明)。
で、シンジは何かしたいことがあるの?
地球を綠の星にしたい?
誰もが笑える世の中にしたい?
お母さんを成仏させたい?
彼はどれも望んでいなかった。望みがなければ葛藤がなく、ドラマもない。

「父親のやったことの片を付ける」が、彼のドラマだろうと思うかも知れないけど、シンジの言ってるのは「お父さんの跡を継ぐから」と、ほとんど同意だ。それはゲンドウのドラマである。
ゲンドウはドラマを抱えて進んでいくけど、シンジにはドラマはない。
だからエヴァンゲリオンにはドラマがない

これは『アヴェンジャーズ エンドゲーム』を見たときも同様に感じた。悪役であるサノスは
「知的生命体が宇宙には多すぎる、それが宇宙の負荷になっているので半分にしなければサスティナブルではない」
という使命感をもって命がけで行動していた。ドラマを持っていた。
例えば今の世界の人口が半分というのは1960年頃の話で、その頃ですら
「これ以上人口が増えたらまずいぞ」って言われてただろう。だからサノスの行為は一面では正しい。
それに比してアヴェンジャーズの考えてることと言ったら「やられて口惜しい」「友達がいなくて寂しい」という程度だろう。これではサノスとぶつかり合える程のドラマにはならず、『エンドゲーム』はなんだかグズグズの映画になってしまった。

エヴァンゲリオン完結編も同様である。主人公が何も持たずに行動だけするから、ドラマがない。
ドラマがなくストーリーがなく、状況を会話で説明する2時間半のアニメ。そりゃあ、結構辛いモノがあります。




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