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徒然16

12月12日

いったい何処に、ほがらかな人が出演していたのだい?という意見もあるでしょうが、ひとまず今年の『ほがらか選手権』は幕を閉じました。遊びに来てくれた方も、一緒に遊んでくれた方も、みなさんありがとうございました。どうぞよいお年を…という気持ちでさよならしました。みなが去った後、嶋仲くんとつづらちゃんとわたしと次女の4人が残っていました。儚いような、虚しいような、温いのに寂しいような、なんとも言えぬこの緩い空気感は、いつまでも浸かっていたい風呂と一緒です。しかし、我等には晩御飯の準備や宿題といった俗世の業がありましたので、美味しい珈琲とオレンジジュースをいただいた後、渋々腰をあげました。先月、叔母や年上のお友だちが亡くなるといったこともあり、生きてアホやれてることに感謝しかないです。原口統三がこだわっていた誠実というものについて久々に考えました。原口統三の誠実さと椎名麟三の美しさについて、自分は10代の頃から考え続けているのですが、未だに明確な答えが出ません。愚牛の如く生きるのみ。そしてライブが終わると、急にまた歯が痛みだしました。

12月13日

朝5時、歯が痛いだけでなく、片頭痛が酷くて起き上がれない。そもそもほとんど寝ていない。熱は37.3℃、微妙である。毎朝、会社のドア前で検温されるのだが、37.5℃以上でアウトとなり、警告音がエレベーターホールに鳴り響き四方八方から飛び出した小型弾道ミサイルに遊撃され、ランニング姿の屈強な男に羽交い締めにされながら、社外へと放り出される。9階なのに。夏はそんな人を何人も見た。とりあえず、頭を動かさないように洗濯して出勤して仕事しようとしたが、無理だった。頭は自然に揺れるものだ。仕事中、ロキソニンを多量摂取するが全く効かなかった。こういう時に思うのが、自分は昨日いい目を見過ぎた為に返しを食らっているということだ。因果応報というか、調子こいた罰だという、諦めに似た気持ちで受け入れるしかない。どこの誰に?どういった方法で痛みを与えられているのか?論理的には全く説明できないが、そうとしか思えない。己がくらうならまだしも、子どもが熱出したり怪我することもある。申し訳ないので慎ましく、そろりそろりと生活しようと思う。しかし、喉元過ぎればまたアホなことを思いつきやりたくなるというビョーキ。仕事中も右側頭部を万力で捻られるような激痛の最中、次の企画が浮かんできたので慌てて打ち消した。
帰って晩のメシを作っていたら台所に長男が来て「今から大学(滋賀の山奥)行ってくるわ」と言うので、「???」という顔をしていると「双子座流星群見てくる」と更に言った。幼少期から流星群と聞くとじっとしていられない男の子なのであった。「写真送るわ〜」と言って出て行き、待てど暮らせど写真は送られてこなかったが、翌晩帰宅後「21こも流れ星見た!」と動画を見せてくれた。全くほがらかな子である。

12月14日

小学校の個人懇談があり、仕事は休みをとっていた。日曜出勤だった夫もたまたま休みで、「お腹すいた、お腹すいた」と朝からうるさい。わいは熱があるんや、と言うと「寝!」と返される。次女を学校に送り出し、今日やる用事を考えようとするが頭が痛すぎて立っていられず布団に横たわる。耳を舐められる。「いやらしいことをしようぜ」とウンコみたいなことを言われる。せっかく痔が治ったのに鬼畜のようなハゲである。その時、たまたまピンポンが鳴り、佐川急便の方が来られたので自分は危うく難を逃れた。パンツとズボンをずり上げつつ玄関に出ると、ちゃんとした実兄と義姉からのお歳暮が送られてきたのだった。毎年、貰ってから「はっ!しまった、もうそんな季節」と思う。佐川の兄ちゃんの横ヤリが入り、夫は体の要求は諦めたが金の要求をしてきた。スマホが壊れたので日本橋に中古のスマホを買いに行くと言う。軽く「1万円おくれ」と言うが、夫と私の給料日は同日の15日、つまり明日なのであった。自分の財布にはあと1500円くらいしかないのである。仕方なくお年玉用にキープしていた1万円を手渡すと、ぴょんぴょんしながら夫は出て行った。「お釣り返してや!」と怒鳴りたかったが頭が痛くて声も出ない。片頭痛に劇的に効く薬があり、近医に行けば処方してもらえるが1500円では際どい勝負になる。そして晩ごはんのお菜が買えない。懇談は昼からなので、自分はYouTubeでミルクボーイや金属バットの漫才を聞きながら横になった。こういう時は夏目漱石や安部公房を聞かない方がいい。美輪明宏もやめたほうがいい。
次女は先生から注意されることはまず無いので、リラックスして懇談に臨むことができた。修学旅行しおりの表紙の絵を褒められ、給食委員の真面目な仕事振りを褒められ、漢字ノートの美しさを褒められる。嬉しい。(ちなみにこの日記の写真も次女が描いた絵。私や夫に似ないで本当によかった。)
長男も長女も注意されることだらけだったので、懇談では必ず1番最後の時間帯に指定されていた。長男は小5の頃不登校で、17時前から始まった懇談は延々と続き2時間以上かかったことを今でも覚えている。内容もかなりハードで、担任から施設に預けたらどうか?という話をされ大号泣したことも覚えている。極左か極右か知らないが、とにかく偏った思想の持ち主で、過去にも再婚家庭の子どもを施設に入れたことがあると言っていた。懇談が終わって暫くの間は長男を保健所や当局?に無理矢理連れて行かれるのではないかという恐怖で、電話の音にもビクビクしていた。かつて、離婚した前夫の両親からも子どもを置いていけと言われたこともあるが、いくら未熟な親だからといって外野の連中はまったく非情で無情で残酷なものだ。親に捨てられるって子どもにとってどれだけ傷になるんか想像しないんですか?子どもを奪われた母親はどう生きるんすか?って担任に泣きながら言ったことも覚えている。謎の薄ら笑いを浮かべながら担任は「まぁ大変やけど、頑張ってください」と言った後、自分の息子も高校中退してから家に引きこもっているという話をしていた。今思えば、担任も精神錯乱気味でめちゃくちゃな懇談だった。校舎から出ると外は真っ暗で、もう星が出ていたっけ…。
今日の懇談は15分で終わったので、スーパーで安いケーキを買い、帰って次女と2人で食べた。平和が1番。

12月15日

眠れず未解決事件を調べていたら3時になっていた。本心のわからない人はこわい。というか、人間全般こわい。あの人の歯磨きの音を聞かないとだめだ。歯磨きの音には中毒性がある。これは真実である、と思う。

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