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現代ドイツの合唱事情 vol.5(再掲版最終回) 合唱指揮者の教育 -合唱指揮になぜ専門教育が必要なのか-

※この連載は2017年〜2018年にSalicus Kammerchorのサリクス通信に掲載されていたものに修正を加えた再掲となります。

合唱指揮を勉強する必要などあるのか?

 連載最終回は、ドイツに合唱指揮留学に行った筆者にとって最も大切なテーマでもある、合唱指揮者教育について書かせていただきます。現状少しづつ変化する兆しをみせてはいますが、ドイツへの留学を考え始めたおよそ9年前(※2008年)、日本には合唱指揮を体系的に学ぶ環境がほぼ皆無であるような状況でした。それでもなお、日本の「合唱界」は特にアマチュア合唱を中心として大きく発展しており、また同時にたくさんの方々が合唱指導者を生業とされていて、豊かな経験のなかで切磋琢磨し、業界が成立しています。

 そうすると、そもそも「合唱指揮を勉強する必要などあるのか?」という疑問がありえるかもしれません。留学した身である筆者にとってみればその答えは正直なところ一つではあるのですが、ドイツの合唱指揮者教育についてご紹介しつつ、このことについて考えてみたいと思います。


音大での専門教育としての合唱指揮

 巷でも「日本の音大には合唱指揮科がない」とはしばしば言われます。合唱指揮のレッスンを受ける機会自体は音大によっては存在するようですが、いわゆる専攻主科として合唱指揮を学ぶことができる音大というのは(まだ)ゼロであるようです。

 その点ドイツでは、国内の大多数の音楽大学において、合唱指揮を専攻主科として学ぶ体制が整っています。まずいわゆる「本科」として合唱指揮を学べる学科として、

・合唱指揮科
・指揮科合唱指揮専攻

の2つのうちどちらかが各音大に存在します。合唱指揮科と指揮科合唱指揮専攻の違いは大学によってまちまちですが、後者の場合、対岸に「指揮科オーケストラ指揮専攻」という学科が存在し、それぞれカリキュラムの大半を共有しているというケースが多いです。

 ドイツ音大の指揮科全般に言える特徴ですが、クラスの規模がかなり小さいです。各教授に学生の受け入れ枠が指定されており、それが4~6である音大が多いようです。数十名の指揮科学生を擁するオーストリアのウィーン国立音大などと比べると、相当コンパクトです。筆者の学んだ指揮科も、クラスメイトが4人を越えることは卒業までありませんでした。しっかりと目の行き届き、緊密な関係性があり、また授業内でも振るチャンスが多く訪れるなど、そのコンパクトさのメリットは計り知れません。当然、その分しんどいことも多々ありましたが…。

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筆者の学んだザール音楽大学
指揮科レッスン室や事務所、合唱稽古場などが入る校舎。
かつてプロテスタント教会だったのを音大が買い取り校舎に改修。

 一方、本科外で合唱指揮を学べる学科としては、

・教会音楽科
・教育音楽科

の2つが代表的です。合唱指揮がそれぞれ教会のカントールになるための、あるいは音楽教員になるための必須科目として考えられています。こちらでは多くの学生が全くの初歩からスタートします。そのため筆者の音大では、僕を含む本科の学生に彼らのコーチングが任されることもありました。とはいえ教会/教育音楽学生というのは全く甘く見るべき相手ではなく、教会/教育音楽科の課程で合唱指揮の才能に気づき、プロ指揮者の道を進む、というケースはドイツではかなり多いようです。


筆者の合唱指揮学生時代の1週間

 カリキュラムの参考となる一例として、筆者の合唱指揮学生時代の典型的な1週間をご紹介します。

・月曜日
朝 音楽史講義
昼 声楽個人レッスン
夕~深夜 電車で100km先の教会合唱団へ指導に
・火曜日
昼 聴音(指揮科/作曲科クラス)
夕 指揮科ピアノレッスン(スコアリーディング、コレペティ、通奏低音など)
夜~深夜 翌日の準備
・水曜日
朝~夕 8時間合唱指揮レッスン(グループレッスン。全クラスメイトのレッスンに参加し、自分の番以外はコレペティする)
夜 音大合唱団稽古(順番で稽古指導担当か、コレペティ)
・木曜日
昼 作曲・管弦楽法ゼミ
夕 指揮科合唱団(本科、教育音楽、教会音楽の合唱指揮をやる学生のみで作る合唱団。リハーサル技術を学ぶ)
夜 アマチュア合唱団指導仕事
・金曜日
朝 ピアノレッスン
昼 オケ指揮レッスン(個人レッスン)
・土~日曜日
週によって、コンサート、所属する室内合唱団の稽古、客演仕事、教会合唱団とミサの仕事など

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ある日のレッスン風景
イタリアからの招聘教授とのヴェルディ・レクイエム


音大の外で合唱指揮を学ぶ機会

 ドイツには、音大の外にも合唱指揮を学ぶ機会が多数用意されています。いわゆるマスタークラス、合唱指揮講習会といったものです。内容や量はそれぞれに本当にまちまちで、短いものだと1~2日、長いものだと9日間の大規模なものも。全くの初心者が自由に参加できるものから、ビデオ審査ののち高競争率のオーディションに合格しないと参加できないプロフェッショナルなものまでいろいろなコースが存在します。また、夏や冬の休暇中に開催されるコースが多く、ヨーロッパは陸続きですから、ドイツに限らず様々な国のコースを訪れることも可能です。

 筆者は、ドイツ滞在中に合計で17のマスタークラスに参加しました。そのなかでもいくつかのコースでは、合唱指揮者として一生忘れない、これからの自分を形作る決定的な体験をすることができました。

 音大に入学して合唱指揮を専攻するとなるとやはり時間的/物理的ハードルが高いですが、それでも興味を持たれる方には、まず、ヨーロッパの合唱指揮マスタークラスを訪れることを強くおすすめします。ドイツ国内でも、英語さえ話せれば、いや人とコミュニケーションする気合さえあれば、なんとかなります。

 原稿を書いていたら、かつて講習会でご一緒したり、オーディションで競い合ったドイツ人の友人パウル・クレマー君が、今週(2018年4月12日)オランダ室内合唱団とのマスタークラスに参加しているライヴ録画が届いてきました。ご参考までに。

facebook.com/159665660727025/videos/2115519388474966


合唱指揮を通して音楽を学ぶ環境がドイツにはあった

 最後に改めて「合唱指揮を勉強する必要などあるのか?」という疑問に戻ります。筆者の場合、「勉強しなければならない」と確信するタイミングがあったのでした。21歳の時、東京でアマチュア合唱指揮者として挫折を味わった時です。何かがうまくいかない時、それが、自分が悪いのか、合唱団が悪いのかさえその時はわかりませんでした。それでも対症療法的なパターンで問題をやり過ごし、合唱団員にはモラルを強い、自分に権威があるかのように振る舞い続けることで、その場はもしかしたら切り抜けられたかもしれません。でもあの時と同じような音楽は二度としたくないと心の底から思い、であるならば自分を徹底的に変えるしかないと思って、勉強することを決心したのでした。

 それは主観的には全くイージーな選択ではありませんでした。しかし結果的に、合唱指揮を学びたいという強い希望を、ドイツに広がっていた環境は100%以上受け止めてくれたと今となっては思います。

 ドイツが優れているかどうか、という話ではなく、彼らが作り上げたシステムを参考に、「合唱指揮を学ぶ」とはどういうことなのかについては、これからも考え、実践を続けてゆかねばならないと強く思っています。もしこれを読んでいる、合唱指揮を学ぶことを考えているが、なにか悩むことがある方がいらっしゃったら、気兼ねなくご連絡(こちらのフォームより)いただければと思います。

全5回の連載、最後までお付き合いいただいた読者の皆様に心より感謝申し上げます。

柳嶋 耕太

お知らせ
これまでの号を踏まえ、帰国以来2年半になる現在の視点からこれらを改めて考える書き下ろしコラムをvol.6として公開予定です。ぜひお読みください。


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