メディアの話その139 2年間、銀河鉄道に乗っている私たち。

2020年1月以来、世界は、「銀河鉄道999」的だ。私たちは銀河鉄道に乗り続けている。

2015年、小林弘人さんとつくった『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』で、「だれでもメディア」時代になると、インターネット上で人はグローバルにつながるどころか、人間の本性のなかにある「150人」の村の規模に戻っちゃうだろう、と書いた。(いい本なので買ってね!)

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これはわりと当たっていた指摘だと思うのだけど、人間の身体的なグローバリゼーションが究極まできわまった象徴でもある「ウイルスの短期での世界的感染」は、身体的な意味でも、私たちをさらに「150人の村」にひきもどした。

つまり、私たちのくらしは、「世界」から、まず「クニ」の単位に、そして「ムラ」、下手すると「部屋」の単位にもどっちゃう。

一方で、インターネットのサービスレベルはますますグローバリゼーションをきわめる。メタバースもこの流れの中にある。

だから、私たちの「こころ」と「からだ」は150人のムラに(ただし「こころ」が属するムラと、「からだ」が属するムラは、別の場所だ)、私たちをつなぐ情報やサービスは「グローバルビレッジ」(マクルーハンいうところの)に属するようになる。

つまり、養老孟司さんがおっしゃった「脳化社会」と「自然の身体」と「人間の本性」とが、1人の人間のなかで3分割される。

具体的にはこうだ。

からだは、自分が住める場所、自分が安心できる場所に属して、小さな「ムラ」で暮らす。よそものはうさんくさい目でみられる。

でも、こころは、そのリアルな「ムラ」に暮らしているとは限らない。こころは、自分の趣味、思想信条、好き嫌い、性的傾向などに応じて、ネット上で自分が好ましく思える「ムラ」に属するようになる。

で、リアルな「ムラ」もバーチャルな「ムラ」も、インターネットを基盤とした、金融や物流や情報などによってグローバルに結ばれる。

だから、インターネットという空間は二重構造をあらわにする。

グローバルにつながるサービスや金や物。

そのネットワークを無数の小さなムラが結ぶ。

イメージとしては、銀河鉄道999だ。

それぞれの人間は、小さな惑星に小さなコミュニティに、住んでいる。銀河鉄道がひととものと情報を運ぶ。

ちなみに私が住んでいるのは、「大四畳半惑星」であります。

銀河鉄道を見上げながら、おいどん=私はカップラーメンを窓辺ですすっている。売れない漫画家、足立太くんのように。

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