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メディアの話その1 南伸坊さんにマクルーハンを教わった。

今日から、「メディア」について、いろいろなことをメモ代わりに書いていこうと思う。

きっかけは、マーシャル・マクルーハンの本を数十年ぶりに読む機会があったからだ。
マクルーハンの『メディア論』は、「有名だけど、案外読まれていない本」の典型だったりする。
もちろん、私もその例に漏れない。実際に読んだのは、マクルーハンの名を知ってから、ずいぶんあとの話である。そして、その中身が示すところの意味が自分なりにわかったのは、なんと昨年のことでした。
マクルーハンという名を最初に知ったのは、たしか70年代の終わりだったか、80年代の初めだったか。自分は中学生だか高校生だか。
もちろん、マクルーハンの本を直接読んだわけじゃない。
竹村健一さんがテレビか雑誌で紹介していたのを、ちらっと見たのだ。
当時、竹村健一さんは、当時91分けの実に実に個性的な髪型で、テレビに朝から晩まで登場していた。パイプを片手に、やおら手帳を1冊取り出して、「私なんかこれだけですよ、これだけ」とまくしたてるのだ。
あれだけテレビに出て、いろんな偉い人と渡り合って、でも、手帳1つで情報管理をしている。なんたるかっこよさだ!
……とは、ちっとも思わず、当時高校生だった私たちは、生徒手帳をやおら学ランの内ポケットから出して「私なんかこれだけですよ、これだけ!」と真似をするだけであった。
男子高校生はいつの時代もバカである。
あれは、いったいなんのコマーシャルだったのか。
youtubeで検索したら、出てきた。
MSシュレッダーでした。
https://www.youtube.com/watch?v=Jvo0ABqzzxI
そう、竹村健一さんは浜松の田舎の高校生にとっては、タモリが「だいたいやねえ」と真似をする、変な髪型のおじさんにすぎなかった。
その竹村おじさんがテレビや雑誌でしばしば「マクルーハン」という名を口にしていた。「マクルーハンさんによればねえ、メディアはメッセージやな」なんだと。

うろおぼえなのだけど、「メディアはメッセージ」というフレーズだけは、頭に残った。それだけ切り取っても意味はさっぱりわからない。でもなんとなくインパクトがある。
「メディアはメッセージ」。

ただ、竹村健一さんの台詞だけだったら、マクルーハンのことも、「メディアはメッセージ」というフレーズも、忘れてしまったであろう。

その後もずっと脳裏に刻まれたのは、同じ時期に、もう一人の方が、それこそ竹村さんとマクルーハンについて、言及していたのを読んでいたからである。

南伸坊さんだ。
80年代前半当時、シンボーさんは、エロい雑誌から、漫画雑誌から、朝日新聞のコラムまで、あらゆるところに、コラムを書いていらした。

テレビでもよくお見かけした。タモリの「今夜は最高!」に、小林旭のものまねで登場したりした。シンボーさんの持ちネタですね。
最初にシンボーさんのコラムを読んだのは、朝日新聞のコラム「シンボーの常識」だった、と思う。
「ボクはなにも、『一所懸命はイケナイ』といってるワケである」
こう断言したシンボーさんは、別のコラムで竹村健一さんをとりあげる。
竹村さんは、当時「超売れっ子」だけど「ちょっとうさんくさい」「お金の匂いのする」評論家、という立ち位置であった。

シンボーさんのコラムでは、「竹村さんをキライな人は、好きなだという人より、圧倒的に多いようなのだが、キライというのは、まあ好きなようなものなので、それではみんなは竹村さんの何をみんなは好きなのだろうか?」と問いかける。
そして、シンボーさんの結論は、「竹村さんは一所懸命の人」なのであり、そして多くの人もまた「同じ穴の一所懸命」であり、一所懸命大好きは「シャブへの道」と言い放ち、コマッタことだとのたまうのであった。
なるほど、竹村さんは一所懸命のヒトなのか。
さらに、シンボーさんは、別のコラムで、唐突にマクルーハンをとりあげるのであった。処女作の「面白くっても大丈夫」という本で「マクルーハンがナウイ」とシンボーさんはいう。マクルーハンが1980年12月31日に亡くなった日に書かれたコラムである。
その日、シンボーさんは、甥っ子と冬休みの映画を観に行き、アニメの「サイボーク009」に併映されていたタモリと児島みゆきの「アニメベストテン」なるアニメの人気投票番組に興味を抱く。というのも、この番組がまったくもってつまらなかったからである。当時、圧倒的に面白かったタモリがなぜか精彩がなかった。どうしたワケなんだろう。これがテレビでやっていたら、と思い巡らし、家に帰って新聞を開いたら、マクルーハンが亡くなっていた。
シンボーさんは、「一時は、ジョンレノンといい勝負に話題になっていた」(なぜ、ここでジョン・レノンかというと、この日のほんの数週間前にジョンレノンが殺害されたからであろう)マクルーハンは、そろそろ一般レベルで理解できる学説となってきたのではないか、流行りとしての学問ではなく、庶民が生きた学問にできる時代になったのではなかろうか、と思いをはせる。
シンボーさんは、マクルーハンを「面白主義者」である、と看破する。そしてマクルーハンを「編集者」である、と定義する。最後に、「これからは編集者がますますノしてくる時代なので、マクルーハンはいまナウなのである」とシメる。
シンボーさんの「これからは編集者の時代」という言葉は、本書を読んだ十数年後に書籍編集者になったとき、心の支えとなった。それはさておき、このシンボーさんのコラムを読んだ数年後、大学時代にマクルーハンの本を開いてみて、「メディアはメッセージ」のくだりを読んでみた。
さっぱり理解できなかった。

何が言いたいのかわからなかった。
シンボーさんはどこを「面白い」と思ったのだろうか。

かくして私はマクルーハンを忘れた。
それから、30年ほどがたち、昨年、『いきものの環世界」を唱えていたユクスキュルを再読した折に、マクルーハンのことをなぜか思い出した。(ユクスキュルは、またメディア的にとっても面白いのであとから書くことにする)
そこで、久方ぶりに、マクルーハンの「メディア論」をとりよせて読んでみた。
なんと、あれだけ難解だと思っていた文章が、つるつると読める。そして。「メディアはメッセージ」の意味も即座に理解できた。なぜかというと、自分が、雑誌、書籍、インターネット、ラジオ、テレビと、複数のメディアの仕事をしてきたからであった。つまり、メディアの仕事が体に入ったら、マクルーハンの言葉は机上の空論ではなく、実に具体的な説明であり、予測なのであった。
マクルーハンは、インターネットの到来を、そしてインターネットがもたらすであろう、人々の変化を、気味が悪いほど正確に予測していた。マクルーハンは「電気的メディア」という言葉を使って、一方向ではなく双方向のメディアの出現を予測し、さらに「電気的メディア」の登場により、人々の集団は、むしろ原始時代のような規模、小規模の趣味や主張の単位に再編されるだろう、と語っていた。
数年前、私がインフォバーン創業者の小林弘人さんと『インターネットが普及したら僕たちが原始人に戻っちゃったわけ』という長ったらしいタイトルの本を書いたときの本題のひとつが、「インターネットの普及であらゆる人間がメディアになる、そんな『だれでもメディア』時代が到来すると、人々の集団は、原始時代の150人をマックスとする(ダンパー数ですね、いわゆる)小さな規模に小分けされていく」というものだった。
おんなじことを、マクルーハンは、まだテレビが普及したばかりで電話も一家に一台あるかないかでパソコンどころかコンピュータも巨大なものがでーんとあるだけの1960年代にとっくに見抜いていたのである。
「メディアはメッセージ」とは、新しいテクノロジーによって次のメディアが生まれた21世紀になってはじめて、誰の目にも明らかになった「真実」だった。メディアにおいては、その上で流通するコンテンツがあたかも主人公のように見えてしまうけれど、それ以前に、メディアそのものがメッセージなのだ、と。

たとえば、スマートフォンを見ればわかる。スマートフォン上にどんなコンテンツが流れるかどうかよりも、まずスマートフォンその存在自体がメッセージである。スマートフォンにはさまざまなメディアコンテンツが流れるが、常時携帯しているスマートフォンというメディアパッケージのかたちそのものが、人々の行動を、思想を、間違いなく左右している。論を俟たないはずだ。

おそらく、ゼロからラジオが登場したときも、ゼロからテレビが登場したときも、同じようなインパクトのメッセージを人々に与えたはずだ。
インターネットが普及し、パソコン、携帯、スマートフォン、タブレットという具合に、メディアのハードとプラットフォームが数年単位で変化していく様を21世紀になって私たちは目の当たりにしている。

そんな時代になってようやく、マクルーハンの「メディアはメッセージ」という見立てを理解することができた。
というわけで、シンボーさんに遅れること30数年、私も断言するのであった。「マクルーハンはナウい」ぜ、と。そして「編集者の時代だ」ぜ、と。


マクルーハンのお話は、また書きます。

この記事は、無料で読めますが、一応テストを兼ねて、投げ銭方式をとらせていただきます。おう、面白かったぜ!と思った方は、チャリンとW

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ムシ。国道16号線。三浦半島。鶴見川。御蔵島。カレー。パウンドケーキ。東京工業大学。コスタリカのオオキノコムシ。オオ=大といっても1センチちょっと。

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