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【#noteでよかったこと】ドラマ「和田家の男たち」の台詞から思ったことを書いていたら「noteでよかった」に繋がった長文(´・ω・`)。*随筆・雑談*

テレビドラマ「和田家の男たち」の最終話で、ネットニュース記者の和田優が最終回で言う台詞が印象に残っている。

「本当に思った事はフィクションでしか表現し得ないって事に気づいたので…。」

ドラマでは優の母親の死の真相はわかるものの、明るみに出ることはなく、犯人である大臣は、議員職を続けているという結末だった。

視聴者としては、やっぱり勧善懲悪で犯人の罪が暴かれてスカッと終わらせた方がよかったけれど、この結末、そして先に書いた台詞は、脚本家からの「TV報道の限界をドラマというフィクションで表現した」という皮肉かもしれない。

ドラマのような深刻な事件と報道については、やはり真実が明らかになった方がよいとおもうので、ちょっとずれるかもしれないが、台詞だけきりとって考えてみて、冒頭で言った優の言葉は共感できる。

優が言ったフィクションでしか表現できないというのは、ドラマの設定上、権力や制約のある中、フィクションでしか書けないことがあるという意味のように思えるけれど、台詞だけ切り取って考えると、広く他の意味でも捉える事ができる。

何か言いたいこと、思っていることを表現する時、実名や事実をあからさまにすることは、倫理問題や個人情報に関わることもあり、書き手の伝え方によっては誤解を生むコトもある。特定の誰かを傷つけることに繋がる可能性まで考えると難しい。ノンフィクションといってもいくらかの制作者側の意図や演出が含まれてしまうことはあって、編集によって印象や意味が異なる捉え方をされてしまうことだってある。

「自分の思っていること」を伝えるのには、フィクションにした方が、「言いたいこと、思っていることそのもの」を伝えられることがあるのではないだろうか。

皮肉や風刺をこめた小説やドラマが人を魅了するのも、そこには作者のなにかしらの「思い」が表現されていて、共感を生むからだろう。小説やドラマを見て、共感できるものであればスカッとするし、自分の想いを代弁しているかのようなものに出会えた時は感動するから。

ドラマに戻ると、優はこう言っていた。

あれは自分のために書いてるだけで外に向かって書いてないから。

私が誰に見せるわけでもない小説を書いたりしたのは、そういうことなのかもしれない。と思った。
昔書いた小説、そこにはその時の、思いがあったのだろう。誰に伝えるわけでもなく自分に伝えたいことだったのかもしれないし、いつか誰かに読んでもらいたいものだったのかもしれない。(後になって読んでみると、自分でも何が言いたかったのかな?と思うものもあるけれど)
意外と、自分と同じように、誰に見せるわけでもない小説を書いている人は、結構いるのではないだろうか。

思っていることを外に出すと言うのは、何もそのままの言葉だけとは限らない。フィクションで表現する方が伝わるという人はいる。アートや写真だって、その手段のひとつになる。そして誰にみせるわけでもなく創作することもある。

さて、ドラマでは優の気持ちは変化する。

「本当に思った事はフィクションでしか表現し得ないって事に気づいたので」
「この小説(外に向けて発表する形で)書かせていただけないでしょうか?」

とお願いする。ちょうどネットニュース編集部からも連載をお願いするところだったということで、Web連載されることとなり、最終的には出版されて70万部のヒット。ドラマの中で優は元々文才があるのではないかと思われていて、文章能力が高い設定だ。

これはドラマであって、そう何でもうまくいくわけでもなく、誰もが出版化されて成功して、小説家になって・・・という意気込みでフィクションを書くわけではないと思う。小説を書くという行為は、作家志望の者だけがすることではない気がする。noteで投稿することも、誰もがプロを目指しているわけではない。コンテストに応募するのだって、賞金や優勝だけを目指している人ばかりではないと思う。

誰のためでもない自分のためであっても、表現をすることは、外にださなければなかったことと同じになってしまうかもしれない。だから外へ向けて出したい。と、気持ちが変化していくのかもしれない。

自分はその場所にnoteを選んでよかったと思っている。へたな文章でも落書きでも良いという言葉に魅かれて決めたのだけれど、文章を書くのが苦手ですという人が文章記事を投稿していたり、絵を描く練習の場にしているという人がいたりして、安心する。練習といいながらもプロ級の人もいたりするけれど。

我こそはプロを目指す者なり!という人も、そうではない人も受け入れられる場所は居心地が良い。毎日投稿だ!と意気込む人もいれば、毎日じゃなくてもいいんだよ!という人もいる。もっと向上心を持たなくては!という人は勝手に頑張ればよい。マイペースでいいんだぁ~という人はそのままでも良い。全然タイプの違う、向いている方向も違う人たちが、良い意味で干渉をしないで、共存できている。それでいて緩くつながっていることができる。

noteで投稿するようになって、優しいnoterさんたちのちょっとした言葉に、恥ずかしいを乗り越える力をもらえたり、自分も勇気をだしてコメントしたりできるようになってきた。

外にださなければなかったことと同じになっていた作品たちを、投稿してみてよかった、と思えるようになった。

なんだか、ドラマの台詞から小説のことを考えて書いているうちに、最初に書こうとしていたことから話がかわっていき、noteを選んでよかったというところに着地した。

ということで、#noteでよかったこと、として投稿いたします。

最後まで読んでいただいた方、長文おつきあいいただきありがとうございました。

ありがとう - コピー

また明日からイラスト投稿がんばります。
初めてご覧いただいた方、只今抽象画イラストを中心に投稿しています。またよかったら見に来てください。


<©2021犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>






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