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02 自己紹介② サックスや吹奏楽の話

私は、小学校3年生の秋から今まで(現在31歳)ずっとサックスを吹き続けている。
初めて小学校にある吹奏楽クラブに入ったとき、自分の通っていた小学校は吹奏楽クラブが全国大会に行っていたり、校長先生が課題曲の作曲したり、全校生徒で音楽集会をするような学校であった。
そんな中、小さい時から音楽は好きで特に歌うのが好きだったので本当は合唱があったら入りたいなあと思っていた。
しかしながら、合唱クラブはなく、吹奏楽クラブはあったのでちょっと見学しに行ってみようと思った。
幼馴染も興味があり一緒に行ったら、楽器のことはよくわからなかったが楽しそうだったのと、当時ずっと好きだった人が入るということで若干邪な気持ちもありつつ入ることになった。
入った頃はまだ強い実績のある先生が顧問だったため、その先生に色々みてもらい希望も取り入れつつも決めてもらう制度だった。
自分は特に楽器のことがわからなかったので、「とりあえず軽いのが良いです」とだけ希望を言った。
当時、背の高い方で指も長かったことからテナーサックスを任命され、「ちょっと重いじゃん」と思いつつも、すぐに音が出せてリコーダーとほぼ一緒の運指なのですぐ曲も吹けたので楽しかった。

それが、まさか今まで続いているとは。
飽き性で基本的に続かないタイプだが、これだけは今も続いている趣味の一つである。

細身で馬力はない方なので、本当にちょうど良い最適な楽器を選んでくれた顧問には今でもすごいなと思う。

しかし、4年生以降、顧問が代わり弱小吹奏楽クラブになった。
楽器は楽しいのである程度練習するけど、遊びたい盛りにいたずら盛り。
吹奏楽という集団にトラウマを植え付けられるのもこの頃から。
中学校に入り、別の小学校の子と対立関係で部活もそんな感じ。
うまくいくハズがないよね。
中学校もそれなりに強くてA編成で全道常連だったり、部活の休みほぼない時代。
楽器は楽しいけど、ミーティングという名のターゲットを決めてみんなで追求・弾圧。
ターゲットになったらガン無視、練習中も居ないものとみなされる。
そんな中練習にも行きたくなくなり、生徒会に逃げ込む。
生徒会のメンバーと先生に助けられなんとか乗り切ることができた。

高校は部活メインで学業は二の次な学校だったので、朝練・昼練・部活・その後の個人練をやっている人が正義なところだった。
自分自身は、部活は部活、学業は学業でちゃんとしたかったが朝練・昼練などの個人練をするより、部活の時間とその後の個人練習をしっかり効率的にやれば良いじゃんタイプだったので他の人と合わず色々言われたけど我が道を行った。
いろんな所行ったりして演奏会もいっぱいあるけど、全てが楽しかったと言われるとわからない。
音楽を純粋に楽しみたかった自分には楽器が買えないから部活を続けるしかなかっただけで、本当は憧れは憧れで終わらせたかった。
技術は上がったかもしれないけど、辛い時期だったなあ。

高校卒業後は、ちょっとした流れで入った一般吹奏楽団にハマってずっとそこにいたり(その時はYAMAHAの15万円のアルトをローンで買ったりしてた)、結局吹奏楽という集団は苦手だけど一人で吹くのは寂しいのでずっと所属している現状であったりする。
現在は、さらにマミーズバンドというところでも吹かせてもらえてていろんなジャンルをいろんな角度で楽しめる環境になってやっと続けてて良かったと思えるようになった。

去年からは、ほぼ活動がなくなってしまっているけども、やっぱり自分には吹奏楽を続けないと自分が保てないということを実感することになるとは思わなかった。
早く何も考えなくても活動できる環境になって、音楽を楽しめる状況になって欲しいな。
娘も歌えるようになったり、踊れるようになっている中でいろんな経験をさせていきたいのにそれすら制限されている世の中がとても辛い。

みんなが音楽で幸せになれる世界になることを祈って。

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