親孝行という名の呪縛はいらない

そもそも「親孝行」って何をしたらそれを指すのか。
親孝行の内容を決められているわけではないし、親が嬉しいと思ったことが親孝行であるとしたら、サンタのように願いを叶えることが親孝行なんだろうか。
そんなの難しい。
私は自分なりの「親孝行」を掲げて、自分を犠牲にして失敗した。

「親孝行」は自分が無理をすることではないのに、当時の私は頭がどうかしてた(妊娠してたからかも)。
行いが親に喜んでもらえるのではと思った時、自分の不利益を考えることもできなかった。

私は何をしたら親孝行か、心のどこかで考えていた。
富にあふれている現状ではないので、高価なプレゼントなどできない私が思いついたのは、
「何年も離れて過ごしているから、孫を間近で見させたら嬉しいのでは。実家の近くで子どもを産むこと、つまり里帰り出産をすることは親孝行になるかも」
結果それはのちに自分を苦しめるんだけど。

私は昔から親、とりわけ父親から「親孝行をしろ」的な威圧感を受けていた。
冗談かもしれないが、子どもの頃父親からは、「将来はベンツ買ってもらうから」(この時点で田舎者な考え…)と言われ続けて、なんで子どもに買ってもらおうって思っているのか、理解できなかった。親が子どもに何かしら期待している、それは子どもの本当のシアワセとかではなく、親を面倒見るような人間になることを期待しているようで、すごく嫌な気持ちになったのを覚えている。

もちろん、きょうだい皆いい大人になった今でも、誰も父にベンツなど贈ることはなく。
私は私で、孫を夫の両親よりも先に抱っこさせてあげられたし、新生児の様子を間近で見せてあげられた(産後1ヶ月だけだけど)。本人たちはどう思ったかしらないけど、これが親孝行!と断定されることもない、なんとも不思議な呪縛。

里帰り出産は、今思うとなぜこんなことを考えてしまったのか、とても後悔している。幸せホルモンのオキシトシンは日に日に減っていたんではないかと思うくらい。
この産前産後内容に触れると相当長い文になってしまうので、機会があったら別枠で書きたいが、とにかく自分の望んでいた産前産後の生活は送れず、非常につらい思いをした。

そして私も親になって、そして気づいたことは

「生まれて来てくれたことが親孝行」

私にとってはそれが全てで、今後子どもには親孝行してほしいなんて思わない。きっと何かしてくれるかもしれないけど、もう十分。

ことわざにあるような
「親孝行したいときには親はなし」は避けたかったのか自分。
でも我が子に念仏のように「親孝行しなさい」と言う親にはなりたくないなと思っている。

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