眺めるだけなのと自分の生活に食い込んでくるのとでは多分大違い
公園に行ったら混み合っていたので、少し時間をずらそうと久々に住宅街散歩をした。
大きめの通りから横道を除くと鬱蒼と繁る木々が見えて、誘い込まれるようにそちらに行った。木が繁っているのは大抵お寺か神社か、庭のある古めかしい家である事が多い。
予想通り、結構な広さの平屋建ての古い家だった。余りに土地を囲む木が鬱蒼とし過ぎていて余り家そのものは見えなかったけど。角を折れて見るとそちら側は木と一緒に細い竹が植えられていて、サラサラと風に揺れていた。
人が住んでいるのかいないのか分からないような古めかしい一軒家を見付けるとつい立ち止まって眺めたくなる。怖いので中には入りたくはないけど、新しい綺麗な家には無い趣や時間の堆積みたいなものを感じて見入ってしまう。
自分の家の近所にも明らかにもう人が住んでいない古い家がある。雨戸は閉ざされたままで所々網戸が破けていて明らかに人が暮らしている気配がない。土地の所有者が時々手入れをしているのかは分からないけれど、人が住む場所としての家の時は止まっているのに、庭の植物たちは青々としてそこで生き続けている。中には枯れかかっているものもあるけれど。その光景が物悲しくもあり、酷く心を惹きつけられる。
確かにそこに在った人、流れていた時間はもう無い。そこだけにしかない静謐を感じる。
近年空き家が問題になっているし、こういう家は増えているんだろうなぁ。趣が…なんて言ってられるのは自分にとっては他人事だからだとは思う。散歩の途中で眺めるのは好きだけど、多分自分の家の隣にあったら嫌だしな…。怖いし、庭の手入れされてないと葉っぱとか虫とか色々問題あるだろうし…。(急に現実的かよ)
そう言えば全然出ないから諦めかけてたネモフィラちゃんの種が今朝見たらついに発芽していた。うまく育ってくれたら嬉しいな。
鬱蒼と繁る立派な庭は無いので、ベランダで慎ましく花を咲かせたい。
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