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宿題の必要性論争

今日は8/31だ。
…え?明日から9月…?嘘でしょ?

今年はコロナのせいで子どもたちは例年通りの夏休みではないみたいだが、開始が遅かったのだろうか、それとも終了が早かったのだろうか。
普通なら今日が夏休み最終日で、宿題を揃えたり忘れ物がないかチェックしたりするのだろうけど。

私は自分で言うのも何だが中学生まではかなり優等生の部類だった。夏休みの宿題は勿論全部きちんとやったし、読書感想文が優秀なものとして選ばれたりポスターが入選したりもしていた。

一方の旦那は、「宿題なんかまともにやった事ない」と言う。それはどうやら夏休みの宿題に限らず、普段の宿題もだったようだ。
しかし旦那は勉強が嫌いな訳でも成績が悪かった訳でもないし、大抵の人が名前を知っているであろう大学も出ている。旦那曰く、宿題に意味を感じるならやっていただろうけど意味を感じないからやらなかったのだとか。
例えば漢字の書き取りの宿題で、各漢字につき30回書き取りしなさいと言われると、旦那は「自分が覚えられる回数だけ書けばいいのに、何故全部30回も書かなければいけないのか。時間の無駄だ」と思ったらしい。そういう疑問に対して教師が明確な理由を答えず「宿題とはそういうものだからやりなさい」の一点張りなのも旦那の気に入らないらしかった。理解してくれるいい先生も中には居たが、嫌われる先生にはとことん嫌われる子供だったらしい。

私は結婚前にこの話を初めて聞いた時衝撃を受けた。私は旦那の学校の先生が説明したように「宿題はやらなければいけない、そういうものだから」と思って学生時代を過ごしていた。勉強が嫌いで手を付けないでいたら間に合わなかったとか、うっかり忘れていたとか、そういう理由以外の理由で宿題をやらない人がこの世に居るとは思っていなかった。

旦那は子供が学校に上がって、もしも同じ理由で宿題をしなかったらそれを咎めないと言う。ただし、結果は求める、と。過程はどうでもいいから最終的にそれで自分が成績や進学において必要な結果を出せるならそれでいい、と。
旦那のこの考え方には賛同出来る部分もあるけれど母としては複雑である。課せられたものを嫌でもやるというのも教育の一環であるという気もするし、宿題やらなくて先生にチクチク言われるの多分私じゃん…っていう…笑。まだ幼稚園にも行ってないのに気が早い話ではあるのだけど。

まあでも確かに私はあらゆる事に何の疑問も抱かずに生きてきたよなぁとは思う。宿題はするのが当たり前、校則は守るのが当たり前、ちょっと成績が良ければ進学校に行くのが当たり前、進学校に行ったならある程度以上の大学に行くのが当たり前。
私の地元が進学に熱心な県なのもあるけど、与えられた「当たり前」を疑う事をしなかったな、と。
勿論アウトローな生き方をすべきだったという意味ではなく。何をするにも深く考えてこなかった気がするな、という。

子の宿題に対する姿勢がどうであるかはその時になってみないと分からないから今考えても仕方無い。
こんな話してるけど、うちはお受験とかさせる気は毛頭無いし、とりあえず元気に育って自分に合った道を見付けてくれたらいいなぁと思う。

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