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嘘だろ、と自分に思った話

子を預けて、その間買い物でもしようかなと思って駅の方に戻ろうとしていたら、向かい側から歩いてきたおじいちゃんに声をかけられた。
背後の森を指差して、「○○の森ってそこのことかな」と言われた。私が「多分そうだと思います」と答えると続けて「○○神社というのはこの近くかな」と訊かれた。その神社の名前にはどことなく覚えがあったのたけど、はっきりとここですとは答えられず、「すいません、私この辺が地元の人間じゃないもので…名前は聞いた事あるので多分この辺なんじゃないかな〜とは思うんですけど…」と言うと、「ああ、地元じゃないの。分かったよありがとう〜」と言っておじいちゃんは歩いて行った。

しばらく私は何処でその神社の名前を見たのだろうか、と考えていた。以前に子を預けている間にグーグルマップを見ながら表示されている神社を巡る散歩をした事があるのでその時に見たのだろうか、と思ったけれど、そうだとするとおじいちゃんに声をかけられた場所からは結構離れている。「この辺なんじゃないかとは思うんですけど」とテキトーな事を答えてしまったな…と少し後悔した。
あの場でグーグルマップを開いて調べてあげたら良かったかなぁとも思ったけど、おじいちゃんは赤いペンで書き込みをした地図のコピーを手に持っていた。神社を巡るのが好きなのか何か他の理由でその神社を探していたのかは分からないけれど、紙の地図を見て目的地を探している人の前で地図アプリを開くのも何だか無粋な気がする。

おじいちゃん神社に辿り着けたかなぁ、と思いながらこの日記を書いていて急に思い出して自分にびっくりしているのだけど、よく考えたら子の預け先の真ん前に神社があるのだ。まさか、と思って地図アプリで写真を見てみると、おじいちゃんに言われた「○○神社」という名前の前に地名が付いた名前の神社だった。
…絶対これじゃん。
何故何度も前を通っている神社の存在を、おじいちゃんと喋っている間どころか、今の今まで思い出さなかったのか、自分のぼんやり具合に唖然としてしまった。私の頭は明らかに、視覚情報や記憶を繋げる能力に欠陥がある。

ごめんね、おじいちゃん…。
でもかなり近くだったから、あのまま地図を頼りに行けば辿り着けたんじゃないだろうか。もしくは他の人に声をかけていれば。
今日は突然空模様が変わって大雨が降ってきたけど、おじいちゃんちゃんと雨具持ってたかな。おじいちゃんが無事に神社に辿り着いて、濡れずに帰宅出来ていますように。

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