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続けることに意義がある?

もう10年以上、日記を付けている。

大学生の頃は特別に日記を用意せず、手帳のウィークリーページに短くその日の出来事を書いていた。
大学を出た後しばらくしてから、日記用のノートを用意して書くようになった。この時もただ日付と出来事を簡単に綴っていただけだった。

結婚後、雑誌できれいにまとまっているノートや日記を見て、真似してみようと思った。
日付はちょっとかわいいフォントで書いて、その日の服装や食べたものをイラストに描く。カラーペンやマスキングテープで装飾する。
しばらくはカラフルな日記を見返して満足していたが、まあ続かなかった。どこの時点で諦めたか覚えていないけど、フルカラーがモノクロに変わった。
今は食べた物と何となく出来事や行った場所を記録する程度で、イラストは気が向いたらテキトーに描く。
以前は細いカラーインクのペンで書いていたが、今はブルーブラックのインクの万年筆で書いている。何となく万年筆の字って様になるからそれが書くモチベーションにつながる気がする。
ノートは数年前からずっと同じものを使っている。
LIFEのリングノートの無地のタイプ。罫線やマスよりも自由に書ける感じがするし、表紙の青色やデザインが気に入っている。揃っている方が収納しやすいという利点もある。千円近くするけど、とても紙質が良い。今の家の近所の文具屋さんにはないので、アマゾンで買うか、美容室に行くのに前住んでいた街へ行った時に買うかしている。

子が1歳になった時から、育児日記も始めた。
それまでは0歳児用の育児日記を使っていて、どちらかと言うと日記と言うよりは記録だった。毎日何時に授乳してオムツかえて風呂に入れて…というのを事細かに記録していた。新生児期は特にミルクを何ml飲んだとか何回排泄したかとかそういう事を把握するのに必死で、あんまり日記って感じじゃなかった。
1歳以降は食事の内容や睡眠時間を軽く記録して、あとはこういう行動してたというのをイラスト入りでゆるく書いている。デザインフィルの開いた時にフラットになるタイプのシンプルなノート。こっちは格子が薄く入っている。
こちらも自分の日記同様、序盤だけフルカラーで今やすっかりモノクロだが、まあ3日坊主の私にしてはよく続けている方だと思う。
最初は自分の日記に育児日記の内容をプラスしてまとめて書こうかとも思ったけれど、いつか子が幼い頃を振り返るために必要になった時、私の個人的な記録は邪魔になると思ったからだ。(何か小学校の課題であるじゃないですか?小さい頃の事をまとめましょう的なの)
それにやはり私の日記はあくまで私という人間のものなので、いくら自分の子でも将来見られる可能性があるのは嫌だなとも思った。私は母になってもとても滅私は出来ない人間なので、日記には推しが可愛いだの何だのと書いてしまうし、時に汚い感情だって書き殴ってしまう。やはり私の日記は私だけのものであるべきだと思ったのだ。

たとえクオリティがアレでも、毎日2つの日記を付けるのは中々しんどい。(ここも入れたら3つだけど、ここはもう少し気軽に読み返せてなおかつ人に読まれる事を意識した文章として書いている)
勿論たまに寝てしまって次の日に記憶を捻り出しながら書くなんて事もある。
それでも続ける事が大事なのかな、と思っている。
どんなにくだらないことでも5年後10年後見返した時にこの日はこんな事があったんだなぁ、と思い出せるのは中々楽しいと思う。たまに汚くて自分の字が読めない事もあるけど。
…頭の中の記憶はどんどん薄れていくからね。
紙に記して残してあるって、大事。

さっきも突然アルフォートの名前が思い出せなくなって、ルマンドじゃない…何だっけ…と数分考えて、アルフォートだぁ!という世にもしょぼいAHA体験をした。
…それはAHA体験と言うのか?
あと、ただの老化では…?

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