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新聞の上を滑る指

今日も午前に用事があり自転車で出掛けた。行きは少しパラパラ降っている程度だったのが、帰る時には完全に本降りだった。またしてもレインポンチョ大活躍。ただ、最初にフードを被った時にまた紐の絞りが甘くて走り出した途端風でバサッとなって顔が濡れた。学習しない。

帰ってきてお昼を食べてから昨日のラジオを聴いた。お子さん誕生のおめでたい話題の中でちらっと字画の話が出た。
私の父はめちゃくちゃ字画を気にする人でその受け売りで私も結構気にしてしまう。父は兄が産まれる時に姓名判断の本を読み漁って勉強したらしいが、私はただぼんやり四や九が付く字画は良くないとか、総画の他外側の2字や内側の2字の画数を見るとか知っている程度だ。どこが何の運勢を表しているとかは見るたび忘れてしまうのでよく知らない。

ものすごく人として性格の悪い行いだなと思いつつ、時々犯罪を犯した人や事件や事故の被害に遭った人の字画を確かめてしまう。父がよく言っているように悪い字画の人が多いような気はするけど勿論そうでない人もいるので、単に該当する人にばかり目が行っているだけなのかもしれない。私は字画というものが絶対だと思っている訳ではなく良い悪いがあるのならまあ悪いものは付けないに越した事はないよな、くらいの感覚のつもりではいるけど、結局自分が少しでも信じているものを正しいと思いたいからつい人の名を指でなぞってしまうのかもしれない。

自分も父が付けた名の字画に相応しい大人になったとは言い難いとは思うのだけど、ここ数年実家の状況はグズグズだ。細かくは書けないけど、表向きだけはうまくいっているように見えるような状況。父だけが現状に満足して自慢げにしていて、本当はストレスや不満や気疲れに満ちている。元を辿れば父が悪いのではないけど、他にいくらでもやりようがあったのに、父が自分の理想に主に母を押し込めた。
ふと、悪い人の字画をなぞるのと逆の行為だなと思った。既に起こった事に対して字画をなぞって「ああやっぱり字画が悪い」と納得するのに対し、良い字画の筈の自分や家族をそれに見合う理想の家族に無理矢理嵌め込む。自分を納得させるという意味ではどちらも同じかもしれないけど。
父は単に自分の考えや理想が全て正しいと信じて疑わないだけなのか、必死で自分が描いた理想に軌道修正しようとしているのかどっちなのだろうと思う。

以前も書いたけど私は母を可哀想だと思う一方で実家と物理的に距離がある事に正直ほっとしている。さんざん色んなお金を出させて迷惑をかけておいて薄情な娘だなとは思うけど。

何か長くなったし何を言ってるか自分でもよく分からなくなってきたので今日はこれで終わり。

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