野坪モノクロ

世にも奇妙な実話 野坪の蠅 #1

これからはじまる物語は、すべて実話に基づいたものである。
全国から集まった恐怖体験、不思議な話の真実をすくいあげた。
ただし、体験者が限定されないよう、実名、場所を変更してある。

幸せな人生。普通な人生。不幸な人生。
生まれてから死ぬまで誰しも平坦な人生ではない。
上昇と下降の波を乗り越えながら、人生の曲線を描く。
迷い悩みながら、この世に生まれた意味や生かされる理由をつかんでいく。

今日、あなたが最悪で最低な日だと嘆いたら、隣人は人生最高の日を迎えている。

あなたは知っているだろうか。こんな日は、霊が動く日なのだ。

いい事、悪い事。これは霊の仕業かもしれない。

第一章 霊が動く日

   おじさんを乗せ、わたしは救急病院に向かってハンドルを握っていた。
 知り合いがトラックに轢かれて危篤状態だと連絡を受けたのは、事故の翌日だった。わたしは、連絡をくれたおじさんを救急病院まで送り届ける役目を請け負った。

   日曜のお昼、海岸通りの道路は車の通りも少なくとても穏やかだ。フロントガラスから入る日差しは、夏の訪れの近さを感じさせる。強い光線を避けてサングラスを掛けた。ハンドルを切りながら、車内で流れる音楽を時折口ずさむ余裕がわたしにはあった。

    一つの命が尽きてしまうかもしれない。そんな状況下で、平常心でいられるわたしは『なんて冷血な奴だ』と、自分を冷静に分析していた。

   助手席に座るおじさんこと壱芯(いっしん)が何度もこぼす。 

「ったく、おとといも、あまり動くなと忠告したばかりだったのになぁ」

 事故に遭った当人には前から忠告していたらしい。まるで最悪な日を避けられなかった知り合いを責めているように感じられた。

「わかっているわ」と、明るく返答された電話が最後だった。

 わたしは動揺しなかった。おじさんと交流を持ってから、ちょっとやそっとの奇妙な状況には驚かなくなった。若い女の子だったら、いや、若くなくても、目を丸くして奇声を上げるところだ。
 黙ってハンドルを握るわたしに、赤信号になったタイミングを見計らって、バッグから一冊の大学ノートを取り出した。

「ほれ、ここに書いてあるじゃろう」

 隣で座っているおじさんが、大学ノートに書かれている内容を口にした。

《高下裕子 五月~九月 事故死》

 運転に集中していた目線が真実を求め、該当の三文字を探した。

 事、故、死。

 ノートの真ん中に力強く、黒いマジックペンで書かれてある。書いた日は、今年の三月だ。知り合いとはそう、今、救急病院で手当てを受けている危篤状態の高下裕子だった。

「……そうなんだ」

 ハンドルを握る手から肩にかけて急速に鳥肌が立った。疑い深いわたしは、簡単には信じなかった。反応薄い返事をすると、更にページをめくって、おじさんが話を続けた。

「小西学。三月~七月に自殺。これも、予言通りになった」

 おじさんが手にしているノートは、死の予言が書かれていた。小西学は、初めて聞く名前であり、面識もないから実感が湧かない。
 軽く何度か頷き「わたしは入っている?」と、次の赤信号でノートを覗き込んだ。おじさんが、未来を予言する人物だと知っての質問だ。あなたなら自分の死が書かれているかもしれないノートを、今月の占いみたいに簡単には聞かないだろう。

 人間、いつかは死が訪れる。それが、現時点で遅いか早いか。
 わたしには、確信のない自信があった。まだ、死なないだろう、と。

 車は、目的地に到着した。重症患者ばかりを受け入れている二十四時間体制の医療現場は、考えているよりも至って閑散としていた。
 受付で高下裕子の名を出すが、「家族しか面会できません」と、きっぱり断られた。すると、おじさんが「親族、親戚」と、堂々とした態度を取り、私たちは、するりと砦(とりで)を通り抜けた。偶然にも廊下で裕子の主人とみられる男性に会う。わたしはこの日初めて会った。

「大変じゃったな。様子はどうじゃ」
 おじさんと裕子の主人は面識があった。
「それが、どうもあまり……」
 震える声で、濁す言葉と肩を落とした主人の顔を、わたしは直視できずにいた。

 ICUの入口に移動すると、裕子のご子息が待合室で腰掛けていた。突然現れたおじさんやわたしに気を使い、悲しみの顔を見せずに気丈に挨拶をしてくれた。
 わたしは、幸運にも近い身内が事故に遭ったり、死と闘っている世界で共に生きた経験がない。父も母も健在で、わたしより元気だ。
 病院のICUの前で親族がどんな思いで待っているか、ドラマの世界しか知らない。

「とても危険な状態で、今夜が峠です」

 医者から告げられた最悪な言葉に、親族は、抑えていた堪えきれない悲しみを、嗚咽と一緒に噴き出した。冷静なわたしでも理解できた。

 ――死が近づいている。

「裕子さんは、生命力が強い人だ。じゃけん、それを願おう」
 慰めでもなく、未来だけを親族に伝えて去った。

『来てくれて、ありがとう』
 帰りの車中で、裕子さんがおじさんに伝えた言葉を教えてくれた。幽霊と話ができる人だから、意識不明の裕子さんから伝えたい言葉をくみ取るのは容易だ。
 ICU内で裕子さんと意志の疎通ができたのは、唯一、おじさんだけだった。

 わたしの感情は、終始、別の空間に存在しているようだった。この時だけは、同じ目線の世界にいるはずなのに、どこか遠くから、命が消える様子を眺めているような不思議な体験をした。

***

つづく 

『世にも奇妙な実話 野坪の蠅 #2』予告 

おじさんとの出会い、屋敷に住む不思議な力を備えた影、お祓い

週2回、または不定期に発信します。



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