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【インタビュー】クラレンス“ゲイトマウス”ブラウン at 2003年パークタワー・ブルース・フェスティバル

2003年12月14日、新宿のパークタワー・ブルース・フェスティバルの楽屋でのインタビューです。
インタビューの途中でファンなのか危ない人なのかが入ってきて何かを大声で言い出して、係員の人に連れ去られていました、
パークタワー・ブルース・フェスティバルはこの年が最後でした。ゲイトマウスは2005年9月10日に亡くなりました。この記事の初出のプレイヤー誌も2023年に休刊してしまいました。とても寂しいですが、この人にこの時、この場所で、この雑誌のためにインタビュー出来たのは自分にとって宝です。

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"アメリカン・ミュージック、テキサス・スタイル"。クラレンス"ゲイトマウス"ブラウンは自分の音楽スタイルをこう呼ぶ。ルイジアナに生まれ、テキサスに育ったゲイトマウスは自分のプレイする音楽をブルースに限定することなく、R&B、カントリー、ジャズなどを交えながらユニークなスタイルを築いてきた。1978年、ボビー"ブルー"ブランドとのジョイント・ツアーで初来日した彼にとって昨年12月、『パークタワー・ブルース・フェスティバル』での来日は5回目となるが、79歳とは思えないエネルギッシュなパフォーマンスとその多彩なスタイルで堂々のヘッドライナーぶりを見せてくれた。20世紀アメリカン・ミュージックを体感してきた生き証人に、その哲学を語ってもらおう。

●あなたのステージは20世紀アメリカ音楽の総括という感じで、ある意味歴史の授業のようでした。「A列車で行こう」のジャズ、「アンチェインド・メロディ」のポップ、「ゴット・マイ・モジョ・ワーキン」のブルースなど、ありとあらゆるサウンドを楽しむことが出来ました。

オー、イエー。「アンチェインド・メロディ」の中盤ではケイジャンも演ってる。

●今回はブルース・フェスティバルでの来日ですが、セットリストはブルース・ファン向けにアレンジしましたか?

私は毎晩セットリストを変えているんだ。昨晩と今晩のライヴは違うし、今晩と明日の晩も違う。ブルースもやればジャズもやるよ。同じ音楽だけをやることは出来ないんだ。それは私ではない。

●ではジャズ・フェスティバルでプレイするときには、ジャズの曲目を多くするのでしょうか?

そうとは限らない。私は毎晩プレイしているから、自分がどんなフェスティバルに出演しているか判らないこともあるからね!それに私は人々のためにプレイするんだ。ブルース・ファンでもジャズ・ファンのためでもない。ピープルのためにプレイするんだよ。この世の中には一種類だけではない、いくつもの種類の音楽があるということを教えてあげるという意味もあるんだ。音楽には終着点はない。ブルースで止まることもなく、ジャズで止まることもなく、どこまでも続いていくんだ。私のライヴ・ショーは、それをみんなに知ってもらう機会でもあるんだよ。もちろん、学校の授業みたいに座ってじっと聴くのではなく、立ち上がってダンスしながら学んで欲しい。私の音楽はみんなをハッピーにするためのものなんだ。

●あなたは自分の音楽を"アメリカン・ミュージック、テキサス・スタイル"と呼んでいますが、どんなところがテキサス流なのでしょうか?

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