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【過去記事】神田神保町ジャニス 2005


21世紀の初めの方、FAという雑誌で音楽記事を書かせていただいていました。
書店に並ぶものではなく、美容院に置いたり、美容師さんが読んだりする雑誌だったようです。何がきっかけで書くようになったかは忘れました。ギャラは良かったです。
ある日編集者さんから「神保町ジャニスを知っているか」と意表を突いた質問をされました。1984年ぐらいから通っていて、メタルの輸入盤LPとかラス・メイヤーのビデオとかは大抵ここで借りていたので、もちろん知っていると答えました。どうしてFAさんでジャニスの記事をやることになったのかは特に訊きませんでした。
で、お店に行って鈴木健治社長、野澤利成店長にお話を伺ったりしました。
鈴木社長は2016年に亡くなったとのことで、ご冥福をお祈りします。
“おすすめCD!”みたいなので山﨑がCDを持ってニッコリする写真が載ったように記憶しています。すごく適当に近くにあったビリー・アイドルか何かを持ったような。

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扉を開けると、そこには夢のレコード・レンタル店があった。
まだCDが普及する前、アナログ盤が音楽の主流だった時代。1981年に神田神保町にオープンした『ジャニス』の品揃えは大手レンタル店チェーンとはまったく異なるものだった。狭い敷地に今まで見たことも聴いたこともないヘヴィ・メタルやニュー・ウェイヴの輸入盤、まだ産声を上げたばかりのヒップホップの12インチ・シングル。いっぱしの音楽マニアのつもりでいた学生時代の筆者は連日、熱に浮かされたかのように借りまくり、聴きまくった。音楽ライターなんてヤクザな稼業に身をやつすようになったのも、『ジャニス』の影響が少なくなかったように思える。
そんな『ジャニス』のユニークなラインアップは、元々は雀荘を営んでいた鈴木健治氏のメジャー・チェーン店への対抗策だった。
「大手のように新譜を大量入荷できるわけでもなく、ただでさえ夜間人口の少ない神保町。アイディアで勝負するしかなかった」
鈴木氏自らが都内の輸入盤ショップに足を運び、その嗅覚でメインストリームの売れ筋とは一線を画する、マニアックな作品をピックアップ。さらに彼を支えたのが、店のスタッフや常連客たちだった。
「私一人ではアルバムやシングルを聴くのにも限界がある。独自のセンスがあり、情報への貪欲さのあるスタッフやお客様からのフィードバックは、常に参考にしています」
現在店長をつとめる野澤利成氏もそんなスタッフの一人だった。1987年に入社、元はといえば「ブラック・コンテンポラリーが好きだった」という彼だが、今ではあらゆるジャンルの音楽に対してアンテナを張っている。
「自分の得意ジャンルじゃないから...詳しい店員がいないから...では、ユーザーのニーズに応えることが出来ません。ロック、フォーク、ジャズ、ブルースなど関係なく、常に感性を磨くように頑張っていますよ」

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