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発達障害を理解してと言う前に

身内には、ADHD強めのASD持ちがいます。
半世紀近く生きてきたTは、今の発達障害について、何かと取り沙汰される今を憂いでいます。(発達障害の身内をTとします)
「ここまで大騒ぎされると、当事者が生きづらくなる」
これが、いつもTが言う事です。

詳しい方ならご存じの通り、発達障害という物が大きく取りあげられる様になり。世間に認識されだしたのは、20年・・・古くても30年と言った所でしょうか。

その前は、発達障害と思われる人々は・・・。

ちょっと変わった子。
落ちつきの無い子。

そんなレッテルを貼られて、人並みに生きる為に工夫するしか無かった。
そんな時代でした。

大人になって、発達障害と言う言葉が世に出て
「あれ?私って、実は障害あるのじゃないか」
と思い、病院の門をくぐった人が、Tと同じ年代では多いのでは無いでしょうか。

この投稿は、そんな大人になってから発達障害と言う認定を受けた本人と家族の内容です。

子供の頃に障害を認定されず、サポートが受けれなかった年代のお話ですので、若い世代と少し違いを感じながら読んで貰えたら嬉しいです。

まずは、身内はギフテッドと言える物を2つほど持っています。

瞬間記憶能力・・・いわゆる、カメラアイ。

これは、何気に見た物を、瞬時に脳裏に焼き付ける能力です。

チラシなどを、誤って捨ててしまってもTが思い出してくれれば記憶の中からチラシの内容を確認できます。

T曰く、どんな記憶も捨てられない。総て頭の中に残っていて、いつも思考回路がパンパンで辛いんだよ。何も良いことは無いとのこと。確かに、そう言われると苦しそうです。

また、空間認識能力も、桁違いです。
終戦のローレライという小説が原作の「ローレライ」という映画があります。その中の登場人物。アツコ・エブナー的な特殊能力があります。
地図などで、地形を覚えてしまえば。
机に座っていても、地形を思い浮かべると目の前に立体展開するそうです。
ここからが、もっと特殊でして。

その地形の中に、複数の移動する物体(例えば車)が有ると仮定します。その物体が、どちらの方角に、どの程度のスピードで動いているのか頭に入れると。
あら不思議、その物体が立体視した地形の中を動くというのです。

もう、ここまで来ると気持ち悪くなるほどです。最新鋭のカーナビかよ!と思う事もしばしば。
ただ、興味が無い物にはこの能力働かないそうです。

同じ空間把握でも、鍵穴に鍵を差し込むとか、自立式のテントなどを畳むなどは、本当に苦労するようで、同じ空間把握なのにどこが違うのか私は聞きたくなるのですが・・・本人曰く「全然違う」そうです。

本当にバランスが悪いのです。

その昔、車のキーを実際に差し込んでいた頃は、上手く鍵穴にキーを入れられず。ドアが鍵で引っかかれて傷だらけでした。玄関のドアも同様です、本当にため息が出ます。

このような感じで発達障害というのは、定型発達の方と何かが違います。

何が違うか説明するとすれば・・・。
人間の生まれもった能力が100と決められていると思って下さい。

定型発達の人は、5つのポイントに20ずつ振り分けられると仮定します。
当然定型発達の方でも、多少のブレは生じるそうです。
だから、理系や文系なんて言われたりもしますよね。
これは個性で通る部分です。

ただ、発達障害の方の場合。
1ヶ所に80とか振り分けてしまう為に、能力が限り無く低い所がある。
生まれつきなので、うつ病などと違い治る見込みは無い。尚かつ、本人の努力だけでは補い切れない事が多い。振り幅が大きいほど、一般的な生活がしにくくなる。そう思って貰えると分かり易いでしょうか。
(この治らないという部分を理解して貰うのが、Tとしては一番むずかしい様です。いつになったら治るのだ?と聞かれる事が多い様です)

ただ、ここまで読んで気がついて下さった方もおられるかも知れませんが。
発達障害といっても、千差万別です。
ギフテッドなんて、無いよ!単なる発達障害で損してるだけだよ。
って方も、多いと思われます。そこも、知っておいて欲しい部分です。

また、最近よく言われる
「配慮をお願いします」
「困っていたら声を掛けてください」
「普通に仕事は出来ます、うっかりミスが多いので時々声掛けを」
実は、これが身内として暮らしていて一番難しいと感じているのです。

特に困るのは「困っていたらサポートを」と言われても、Tはいつも落ちつきません。不安で多動な訳ではなく。
椅子に座っていても、海中の海草の様にユラユラ揺れている事があります。
何かに集中している時は、首だけグッと前に突き出してガン見してます。

これを見て、困っているのか。困っていないのか。
判断できるのは家族だけかと思います(苦笑)

定型発達の人と比べて、動きが独特なので「困っている」基準が判別が難しいのです。学生時代など、サポートに徹してくれる教師などがいる場合は「こう言うときは困っている」と理解して貰えば、サポート可能ですが。
社会に出たら難しいでしょう。当然、会社というのは働く場所だからです。

同僚や上司が、仕事をしながら”理解不可能な動き”をする人をサポートできるほど余裕のある職場は少ないでしょう。障害者雇用なら、それは可能でしょうけれど。収入が一般雇用と大きく差が出ますので、厳しい所です。
一般雇用として働く場合は、本人も工夫が必要な部分でしょう。

私などは、Tの発達障害が分かってから。
不安そうな動きや、困っているような動きをしている様に見える時は
「大丈夫?困ってない?」
こまめに声掛けをするように、心がけたのですが。
「別に(困ってない)」
「今、集中してるから邪魔しないで」
「後で(対応するから黙れ)」
Tの返答はこんな状態。

これを、職場でやったら。理解しろと言うのに「声掛け」をしたら邪険にされた。鬱陶しがられた。では、拗れるばかりです。

Tを基準に考えると、夢中になっているとTPOを理解して発言出来ない。思った事が、口からダダ漏れになる時もある。(失言をする)
このような事から、過剰な理解を求めると周囲から反発を喰らうのは何となく想像できるのです。今は、表だって「あいつは、無理」等、言う事は無いでしょうけれど。
裏で色々言われたり、後ろ指をさされる方がダメージは大きいでしょう。

うっかりミスに関して言えば、定型発達の私からすれば
「私だって、いつもミスをしないように気を使っている。アンタだけじゃない」と思ってしまいガチです。身内ですらコレですから。

Tは、職場では
・チェックリストを作成する。
・リマインダーを設定する。
・本日やらなければならないことを、書き出して組み立てて置く。
等、色々と工夫をしてミスを減らしているようです。
また、用事が済んだメールもフォルダー分けして保管。
定期的に、見返す事で抜けを思い出す等。
涙ぐましい努力をして、普通に働いています。

障害があるからと、甘えてしまう。
配慮を求めて、安心してしまう。

これでは、普通の会社勤めをして生活するのは難しのだろうなといつも思うのです。

私から、発達障害のTを見て思うことは
・出来る事、出来ない事が分からない。
・サポートの手を出すタイミングが分からない
→サポートが必要な時は、具体的に分かり易くヘルプを出して欲しい。
”この文章を作ってほしい”等、具体的に申し出て貰いたい。ただし、サポート出来ない時は断るので、それも理解して貰いたい。(人それぞれ都合があり、総てサポート出来ない)
→過剰な声掛けは、本人が嫌な顔をするので控える旨を話し合い合意しておいて欲しい。その代わり”可能な限り(これ大事!)”、ヘルプが出たら手助けをする旨を理解して貰いたい。
こんな感じです。「困っていたら」という言い方では、定型発達の者には困っている時が分からない可能性が高いからです。

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こんな感じで・・・。
子供の頃に、発達障害という物が認知されておらず。
学生時代、社会人になってから沢山のミスと、改善を繰り返して自己修正してきたTと身内は係わっています。

最後に1つだけ。これは、大きな問題だと思うの事を書きたいと思います。耳の痛い内容だと思いますが、誰かが言わないと理解されにくいと思いますので、強いて記載します。

身内から言わせて貰うとTは発達障害の認定が出てから、自宅では気を使わなくなりました。
もう十分気を使ってきた、これ以上プライベートで気を使うのはパス。
気持ちは分かるのですが・・・。
”障害者の私は、配慮して貰えて当然。と言う考えから、ご配慮様爆誕”
これには、本当に困惑しました。既に過ぎた事なので、今は言えますが。

今まで、普通に生活してきた人でもこれですから。察して余りある物があるとは思います。

社会に出て直ぐに、「全面に配慮しろ!」の看板を出して歩くのは嫌われると言う事を認識するのも大事かも知れません。


最後にTは、現在の発達障害という言葉が一人歩きしている状態にこう言っています。書いてみたいと思います。

「子供の頃から、障害だと認定されて。配慮と優しさの中で、暮らしてきたら今は絶対に無かった。自分は今まで血の滲む様な苦労をしてきた。
長く理解されず、泥の中でもがいてきたような自分は可哀想だと思った。でも、落ち着いて考えると、甘やかされてこなかったから今がある。
もし、子供の頃に認定されたら障害者雇用で就職をして”ご配慮様”を気取ってぬるま湯に浸かって一生終えたかも知れない。自分はラッキーだった。

だから、若い子達が心配だ。
SNSで取り沙汰され。不確実な情報で、色眼鏡で見られて。努力する場を失いかねない。
発達障害だって、普通に働ける、普通の人間として一生を送れるのだと教えてあげたい。まあ、人一倍苦労はするけれど。
甘やかされたら、自分も出来なかったから自分が出来ない事は人には言えないけれど・・・。」

私もTの言うことは尤もだと思うのです。
配慮は大事。身内ならば、時間を掛けてさじ加減を見つけることも出来ますが社会は厳しいです。

できれば、親御さんがお子さんに、社会に出る前に社会人として身につける必要のある部分を教えて貰いたい。そう感じます。

配慮が無い状態で、孤立しないように現実に即して勉強したほうが、その時は辛いでしょうけれど、後々為になるように思います。
社会で配慮を求めすぎるとどうなるのかも話し合って欲しいのです。

発達障害のある方々が、生きやすく、活躍できる世の中にするのは。
社会が歩み寄るだけでなく、本人達の歩み寄りも必要だと思った。
そんな内容でした。